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第16回バリアフリーダイビング関東大会in本部-モトブ- No.2
二日目はヘルパーさんに6時に起こしてもらい朝ご飯を食べに1階のレストラン
に行きました。
1階にメディカルチェックをしてくれる方が待機をしてくれて「食べる前に
しませんか」と言っていただいたので先にすることにしました。
健康チェックシートを渡した後で血圧を計りました。
血圧はとても正常でした。
テーブルにつきバイキング形式だったので選びに行きました。
その日は和食の気分だったから取って食べました。ふと時計を見ると集合時間
まであまりなく急いで食べることにしました。
一度部屋に戻りダイビングに行く用意をしている時に水着を着ようと思ったら
どこを探してもありませんでした。
あっ!忘れた!!と思ったけど、代わりの水着っぽい半ズボンがあり
助かりました。それをはきウェットスーツを持って集合場所に向かいました。
みなさんが全員揃った時点で送迎車に乗って10分くらいで港に着きました。
ウェットスーツを腰まではく時、風がふいて寒くてふるえながら着ました。
空を見たら厚い雲が空一面広がっていました。そんな日にダイビングをするなんて
思わなかったです。心の中で「いい天気になってくれ」と思いました。
その後各船に誰が乗るかとバディーの発表がありました。
釣り船が2槽停舶していてそれに乗るのか?と思い、乗るのは大変だろうなと
考えていました。
船に乗る時は手動車イスに乗って、そのまま担いでもらうのですが
回りのスタッフを呼んで、5人がかりでやっと乗り込めました。
港から5分ぐらいのポイントで移動時間が短くて良かったけど波が高くて顔に
水しぶきがかかり、少し嫌でした。着くとチームごとに潜るように指示が
ありました。僕の順番になり、機材を背負い海に行きました。
いつもなら船の後から楽に降りることができるけど、今回の船は釣り船だった
ので、そのような降り場がなかったので横からおりました。
ゆっくり潜っていく時に前回のようにサイナスにならないかなーとビクビク
していたけど耳抜きがうまいことできたのか、サイナスにならずにすんで
良かったです。
チームが全員そろうまで、下でゆらゆらして揃った時点でチームリーダーの
うしろをついて30分間ほど散策していました。
いつも6月に潜っている水温とはずいぶん違って低く感じて、ベストを着ない
とふるえてしまうほどでした。下が砂地なので足をポンポンして
自分で歩いているような気分になれました。
もうそろそろ上がらないといけない時間になり、浮上しました。
海から船に上げてもらうのも大変で、一度水面で機材を体から外して
フルフェイスマスクも取った状態になってから上げてもらいました。
持ち上げる方も僕もけっこう苦労して、僕の方はスーツが食い込み痛かったけど
そうしないと上がれません。
大変だったけど、釣り船なので仕方がありませんでした。
全員上がったら一度港に戻り、40分間2本目に行くまでに休憩しました。
降りる方とか、乗りっぱなしの方がいました。僕は乗って休憩する方を選択
しました。なぜそうしたかと言うと、いい天気じゃなかったから、乗り降りが
大変だと思ったからです。
もしカンカン照りだったら、降りて屋根のある所で休憩をしたかもしれせん。
スタッフ総出でボンベを交換し終えたところで出発の声がかかり
1本目とそんなに変わらない距離まで行きました。
本当に変わったのか?という感じでした。当日は波が高くてあまり波がない所
を探して行ったので近くになってしまったようです。
2本目は1本目と違いがあり、それは海に降りる時、1本目はゆっくり降ろして
もらったけど次は、ドボンとほうり投げてもらいました。
最初は、マジかよって思ったけど意外とスリリングがあって、放り投げられる
のもありかなっと感じました。
2回目はやはり1本目とそんな変わらない海の感じでした。
無事ダイビングが終わり、港に戻りウェットスーツを脱ぎました。
空模様はずっと厚い雲に覆われてパラパラ雨が降っていてそんな日に残念
でした。
そんなことを考えながらリフトカーに乗って、ダイビングショップに
向かいました。
5分間で行ける所を道に迷ってその辺りを1周してしまい、15分かかって
しまいました。そこに昼ご飯のお弁当が用意してありました。
先にシャワーを浴びたかったけど、シャワー室が狭くて浴びられず
気持ち悪いまま、お弁当を食べました。
その時金山さんから相談事がありました。なんと僕の部屋に泊まらせて欲しい
と言われました。何故かと言うとスタッフが1人増えることになり
部屋が足りないからでした。ベッドがないことを伝えると、ソファでいいから
とのことで、泊まってもらうことになり、静かな環境が良かったのにと
思いましたが、あきらめました。
それから1時間後にホテルに帰り、気持ち悪い体を洗い流しました。
参加者の車イスの方のシャワー室がとても狭いという話だったので
僕の部屋のユニバーサルルームのシャワーを借りに来ました。
夕ごはんまでかなり時間がありヘルパーさんはホテル内の大浴場に行きました。
僕も次の日にでもその風呂につかりたかったが障害者には使いにくそうなこと
を聞いたので行くのをやめようと考えました。
上下セットになっているホテルの寝巻を着て上に薄いジャンパーをきて
夕食会場にリフトカーでいきました。そこは本部元気村と言い
体験学習のための施設で以前にイルカと遊んだりした施設でした。
本来はBBQしてないけど、今回この大会が本部で開かれるので特別にBBQを
してもらい食べました。
自分たちが焼くのかと心の中で思っていたけど、向こうで店員さんが焼いて
くれて持って来る形でした。風が吹く中、色々な料理をおいしく食べました。
いい天気の日に行ったら気持ちよかっただろうに、風がきつくてちょっと寒く
あんまり食べる気がしませんでした。
その後施設内にブランコやトランポリンがあり、それらで遊んでいたスタッフ
を見ていました。僕も乗りたい気分になったけど、大人達が酔っ払っていた
ので声をかけられませんでした。この日はBBQの後、ホテルに戻って、寝ました。
つづく…
10月15日(木)~18日(日)まで今年2回目の沖縄に行ってきました。
1週間前に、企画したダイビングショップからしおりと航空チケットが送られて
きました。しおりを見て、行ったことのない水納島に行けるなんて行く前から
ワクワクしました。
航空チケットを見て、あらかじめ乗る便に電動車椅子で乗ることを連絡しよう
と思い、ANAに電話をしました。毎回、当日空港で話がついていなくて、
ややこしいことになるからです。
チケットを予約する時に沖縄の旅行会社から連絡していたはずなのに、やはり
今回も話がついていなかったので、ヘルパーさんが電動車椅子の高さと横幅を
計り伝えてくれました。重さとバッテリーの種類を知りたいらしく「わかりません。」
と言ったらしつこく聞かれたので、車いす業者の連絡先を教えました。
しかし、高さが、乗る予定の飛行機では「運べません。」と言われました。
横にしたら何とか運べるとも言われ、それは危険なので高さを調節して縮められる
機種ならよかったのにと思いました。まさかの展開で、びっくりしました。
「それ以外に乗れる飛行機はありませんか?」と聞きました。
そしたら「少し後の飛行機なら乗れる」といわれたので急いで予約し直そうと
思ったら「別の電話にかけなおしてください。」と言われ、予約の電話にかけて
何とか次の便の予約が出来ました。このやり取りだけで、1時間かかりました。
そんなこんなであらかじめ連絡しておいて本当に良かったです。
当日、イライラしておこりまくることにならずに済みました。
このことを、日本バリアフリーダイビング協会に連絡して、「どうなっている
のか?」聞くと、「いつも旅行会社に車いすの事を言っているのに・・・」と
何回も謝られました。
当日の朝になり、父親が8時に家に迎えに来てくれました。
旅行の用意は、朝早く起きてしました。できるかわからなかったけどさっさと
できてよかったです。一緒について来てくれるヘルパーさんを待って、父の車で
伊丹空港へ行きました。
空港に着きANAのカウンターに行く時に何と、「スポーツ選手がいたで。」と
ヘルパーさんが言ったので周りを見回しましたがすでに遅かったです。
それから、カウンターで搭乗手続きをしました。電動車椅子で乗ることを
あらかじめ連絡しておいたのに、バッテリーのことでいろいろと聞かれて
40分以上その場で許可がおりるのを待ちました。(あらかじめ連絡したのに
意味ないやん)と心の中で思いました。それから、「車椅子の重さは何キロあり
ますか?」と聞かれたので「知りません。」と答えました。と、いうのも今年の
8月に納車し新しい車いすになったからです。どうしても重量を知りたいらしく
荷物の重さを量るところに車椅子を4人がかりで大変そうに乗せて量りました。
何と、140キロでした。前の車椅子は120キロだったのに今度のはそんなに
あるんだとびっくりしました。それをしている時に、同じツアーの方がやって
来て挨拶をした後一緒に搭乗口まで行きました。
しばらく待っている時に、ふっと帰りの便の時間が知りたくなってヘルパー
さんに「カバンの中にチケットがあると思うので探して。」と伝えました。
すると、どこを探してもなかなか見つからずこれはまずい!と焦りました。
行きと帰りが一緒になったチケットなのでもしかしたらヘルパーさんがそれを
わからないままカウンターに渡したかも知れないと思い、目の前にあるカウンター
の方に伝えました。受付に連絡しましたが、見つからないので「どうしたらいい
ですか?」と相談したら作ってもらえることになりほっとしました。
その後、搭乗の準備ができ、席に案内されて行くと、プレミアムクラスだった
のでびっくりしました。一緒のツアーの方に「いいなあ」と言われました。
その方はエコノミーでした。何でいい席になったのかと考えてみたら、
電動車椅子を乗せるために一つ後の便に変えたけれど、エコノミーが空いて
いなかったのかな?と思いました。
お昼ご飯は向こうで食べようかと考えていましたが、プレミアムクラスなので
何とお昼御飯が出ました。お酒もあってオリオンビールを飲みました。
席はかなりゆったり座れましたが、ただ1つだけ問題がありました。座席1つ
ずつに隣の席が見えないようにする仕切りが斜めに付けてあり、ヘルパーさんが
食事介助しにくかったのです。
2時間ほど空の旅を楽しんで那覇空港に無事着陸しました。飛行機から降りた
ら近畿よりも暖かいやろなあと思っていたらあまり変わらなくて少しびっくり
しました。手荷物受取所で預けていた荷物と電動車椅子を受け取りに行きました。
先に出てきた荷物を取ってなかなか電動車椅子が出てこないので近くにいる
スタッフに確認してもらいました。「もう少ししたら来ますよ。」と言われ
そのまま待っていましたが実際は奥の扉からでした。大きなコンテナに乗って
運ばれてきました。コンテナからは降ろしていたけれど、僕のところまで来る
のに時間がかかりました。スタッフが電動から手動に切り替えるレバー操作が
わからなかったからです。なので、ヘルパーさんが教えに行ってくれました。
やり方は、教えてあったのに伝わっていなかったのが残念でした。
ようやく自分の電動車椅子に乗って出口に行くとショップの方が出迎えて
くれました。先に着いた参加者に挨拶をしました。ショップのユキムラさんが
「お昼御飯がまだやったら買ってきて。」言ったので、機内食を食べたことを
伝えると、「リフトカーが外にあるから乗っておいで。」と言われました。
外に出たら風が吹いていて「寒っ!!」と思い、急いで車に乗り込みました。
もう出発かなあと思ったら10分たってもなかなか出発しないのでおかしいなあ
と思ったとたん運転手さんがやってきて、さらに5分後に本部町へ向かいました。
途中、休憩を入れて2時間半後にホテルマハイナウエルネスリゾートに
到着しました。長い時間乗っていたのでしんどかったですが、周りの景色を
見ながら行けたので退屈しませんでした。
参加者が全員ロビーに集まって簡単なオリエンテーリングと部屋割りを聞いて
部屋に行きました。部屋は、ユニバーサルルームで部屋も風呂も広くとても
良い感じでした。
荷物の整理をした後、夕飯まで時間があったのでベッドで横になりました。
1時間くらいしてから電動車椅子に乗り、1階のロビーに行きました。
もうすでに何人もが集まっていました。全員そろった時点で夕食会場へ向かい
ました。その会場はホテルの並びの「海の駅」っていうところにある「海人料理
海邦丸」という居酒屋でした。
テーブルに着き、いろいろな料理が運ばれてきて、主催者挨拶の後乾杯を
しました。お酒を飲んで料理もたくさん食べて一息した後、ヨウ子さんから
明日のスケジュールの発表がありました。その中には残念な発表もありました。
楽しみにしていた水納島でのダイビングが出来なくなったということでした。
水納島までは、船で行かないと行けないのですが、強風のため、船が出せ
ないので行くことができないとのことでした。その代わりに、ホテルの近くで
ダイビングをすることになりました。せっかくここまで来たのに天候の加減で
行けなくなったのはとても残念でした。
21時までゆっくり食事をして、その後はみんなでお話しをして楽しい時間
を過ごしました。店自体はすごく感じのいいお店だったので他のお客さんが
いるなかでも開会式をさせてもらえました。
ホテルに帰ってシャワーを浴びないといけないけれど、とても眠たくて
浴びることが出来ませんでした。
(次の日に続く)
その後のことは、かなり時がたったのであとの5日間は思い出せません・・・。
今回10回ダイビングした内、最終日の2回だけ目の間の奥の痛みがなくって
スムーズに潜れました。
1,2日前の痛みはうそみたいに消えました。
あれはなんだったんだろう?とインストラクターに聞いてみたら
「サイナス」と言うそうです。
よくわかりませんが、副鼻の圧がうまく平衝をとれていなかったようです。
そんな症状があるなんて知らなかったです。
最終日はいつも潜るポイントではなく黒島東というポイントでそこは洞窟が
あり、違う景色が見えて楽しかったです。
今回、初めて1週間以上沖縄に滞在しました。
台風も来なくてずっと晴れの日が続きました。
「サイナス」が起きたのは残念でしたが、とても楽しかったです。
また次は10月に「バリアフリーダイビング関東大会」で沖縄の本部町に行く
ことになりました。
今度はどんな魚と出会えるのか楽しみにしています。
―終わり―
今、沖縄のことを書いていますが、それは6月に行ったことなのでかなり
忘れかけです。とりあえず、覚えてる部分だけでも書こうと思います。
6日目は8時にフロントに集合して、いつもの港に各自送迎車で向かいました。
船に乗せられないので電動車イスはホテルに置いて乗り慣れていない手動
車イスで仕方なく行きました。
港では琉球リハリビテーション学院の学生ボランティア20名が待っていました。
それぞれ各チーム毎に数名ずつ分かれてもらい、僕はウェットスーツを
腰まで着るのを3人で手伝ってもらいました。
各チーム事の船の前で、記念撮影をしてから船に乗りました。
30分ぐらいでナガンヌ北というポイントに着きました。
道中、波が高くて気持ち悪くなるくらいだったけど、僕は何とか大丈夫でした。
母親は、気分が悪くなったので、船の2階に上がって寝ていました。
ポイントに着いてしばらくすると、僕の順番になり、フルフェイスマスクをして
海の中に潜りました。
ゆっくり潜っている最中、眼と眼の間の奥の方がいきなり痛くなって
しばらくしたら治るかなと思ったけどなかなか治まりませんでした。
9年間潜ってきてこんなこと今まで一度もなかったので、スタッフに伝えたかった
けど伝えられませんでした。
30分間で1本目が終わりましたが、痛みのせいでほとんど海の中の景色を
見られませんでした。
船に上がってからバディーに伝えてみると、耳抜きが充分ではなかったのでは?
と言われました。
その後休憩で、僕は喉が乾いていたので、学生さんに何度も飲みものを
飲ませて欲しいと伝えました。学生さんに伝わりお茶を飲みました。
言語障害があっても身振りや手振りで伝わって嬉しかったです。
10分間休憩したあと、同じポイントで2本目のダイビングをしました。
始めに「2本目もやりますか?」と聞かれてまだ痛みもあったけど、
船の上で待っているより海の中にいるほうがいいと思い、ゆっくり潜っていった
けど、違和感がありました。
下でチームのみんなは僕が下りてくるのを待っていてくれたけど
なかなか下に行けなかったので先に行ってとバディーに指示を出しました。
みんなとは違い、水面を移動したかたちをとりました。
いつもと違い上からチームの姿を見ていつも自分はそのようにダイビングを
しているんだと初めて感じることが出来ました。
20分してから船に上げてもらいウェットスーツを腰まで脱ぎました。
昼ごはんを食べるために港に戻りました。着くまで周りの景色を見たり船に
揺られて気持よくなって寝てしまいました。
目を覚ましたら歩ける方から順番に降りてる最中でした。
僕は後から降りると港で大会用のテントが設置してあってそこに向かいました。
腰まではいていたウェットスーツを学生さん2人を呼び止めて脱がして
もらいました。
その後、弁当が配られて誰に食べさせてもらおうかなと周りを見渡すと林くんと
飲みものを飲ませてくれた学生さんがいてどっちに頼もうか考えました。
林くんに頼もうと思っていましたが、これからも支援をしてもらうので
学生さんにしてもらおうと考えました。
その学生さんに食事介助の方法を知ってほしいので僕が伝えました。
今回の弁当はおにぎり2個と、簡単なおかずでしたので、あっという間に
食べ終わってホテルに戻るまでしゃべりました。
しばらくして送迎車で帰りました。それからベタベタする体を部屋のシャワー
で洗い流しました。その後は部屋でゆっくりして、御飯を食べて寝ました。
ーつづくー
バリアフリー全国大会の当日を迎えました。
やっとその日が来たと思ったらなんだかわくわくした気分に
なりました。なぜそう思ったかというと、当日までの間、
あまりお手伝いできることがなく見ていることが多かったので
当日が待ち遠しかったからです。
10時頃、ようこさんがリフトカーで来てくれて、重たい荷物を乗せて
大会会場のパシフィックホテル沖縄まで連れて行ってくれました。
東横インから10分程度走って着いたら、そこは以前の同じ大会で
使用した場所でした。
フロントの近くに大会受付場所の設定がしてあり、そこに行って
とりあえず荷物を置いてから、これからの流れを聞きました。
ゲスト、ボランティアのプレゼントの名前をチェックしたり
お客様対応の仕方の説明を聞きました。
他のスタッフは那覇空港にゲスト、ボランティアが来るので迎えに
出ていき、僕は両親の仕事ぶりを見てました。
昼過ぎに徐々にゲスト、ボランティアさんがホテルに到着しました。
フェイスブックに当日までの手伝っている様子が載っていて
それに僕が出ていたみたいで来られた色んな方に、「写真見たで!」と
「あごひげ伸ばしてるのね。」と声をかけてもらい、「ひげを今年から
伸ばし始めました。」と言うと、「よく似合いますね。」と言われました。
しばらくしたら大会で僕がお世話になるボランティアの林くんが到着しました。
今回、林くんも僕を支援するのは初めてで、僕もしてもらうのは初めて
なので、お互いに緊張していました。何回か他の方についていたのを知って
いてとてもいい方で、いずれ僕のところにも入ってくれないかなと思って
いたところでした。
今までは大会中ずっと父親が色々支援をしてくれていましたが、今回
林くんが入ってくれたので嬉しかったです。
その後、部屋の鍵をもらって休もうと思いましたが、部屋の関係上色々
あって部屋を変わることになりました。
朝から電動車イスに乗りっぱなしで疲れたので、2時間ほどベッドで休んだ
あと、16時からゲスト説明会の会場に向かいました。
てっきりホテル内だと思っていたのに、昔、サンゴフォーラムがあった所
だったのでびっくりしました。
そこでは明日からのスケジュール確認や韓国人の紹介などがありました。
30分程度の説明会でわざわざホテルの外でやるのはなぜ?と思いましたが
会場が取れなかったのかなと感じました。
それからホテルに戻り、ホテル内のパーティー会場に向かいました。
全部で6チームに分かれており、各テーブルにチーム名が書いてあったので
僕のチームであるBチームの席に着きました。
Bチームは2つの丸いテーブルが設定してありどっちのテーブルに行こうか
迷いましたが、とりあえず空いてる場所に行きました。
開会式の前に各チーム内でミーティングをどっちのテーブルでしますか?
とチームリーダーから聞かれて、Bチームは9人のメンバーで、座っている
人数の多い方に行きますと答えました。
僕が移動してミーティングが終わったら元の場所に戻り、しばらくしたら
開会式が始まりました。
その30分後、WELCOMEディナーがあり、とても楽しみにしていました。
会場の両端に料理がならんでいて、それをボランティアさんが一斉に取りに
行きました。食べきれないやろうな~と思うぐらいの量が次々とテーブルに
運ばれてきました。
どれくらい食べたらいいか分からないぐらい料理があり、適当に食べさせて
と林くんに言いました。
僕の食事介助をしてくれるのは初めてなので、一口の量は多めがいいという
ことと、硬いものは左奥に入れてほしいを説明しました。
最初はあたふたしていましたが、徐々に慣れていきました。
お酒もたくさん飲んでいたら、急にAさんがテーブルに遊びに来たので
ちょっとしゃべった後で渡したいものがあると伝えました。
「何やろ?」と言われ、「かばんの中に入っているので開けて!」と言いました。
作業所でつくったイニシャル入りのガラス工芸のペンダントをプレゼントしました。
「上手に出来てますね。」と言ってもらい、ありがとうと喜んでもらえました。
しばらく一緒にお酒を飲んだ後、もうそろそろパーティーも終わりそうな
雰囲気になり、それぞれの席に戻りました。チームリーダーからの明日の
集合時間を聞いてから部屋に戻り、明日早く起きないといけないので寝ました。
~4日目につづく~