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ドラゴン日記

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第18回バリアフリーダイビング全国大会 no.5

今、沖縄のことを書いていますが、それは6月に行ったことなのでかなり
忘れかけです。とりあえず、覚えてる部分だけでも書こうと思います。

6日目は8時にフロントに集合して、いつもの港に各自送迎車で向かいました。
船に乗せられないので電動車イスはホテルに置いて乗り慣れていない手動
車イスで仕方なく行きました。

港では琉球リハリビテーション学院の学生ボランティア
20名が待っていました。
それぞれ各チーム毎に数名ずつ分かれてもらい、僕はウェットスーツを
腰まで着るのを
3人で手伝ってもらいました。
各チーム事の船の前で、記念撮影をしてから船に乗りました。

30分ぐらいでナガンヌ北というポイントに着きました。
道中、波が高くて気持ち悪くなるくらいだったけど、僕は何とか大丈夫でした。
母親は、気分が悪くなったので、船の
2階に上がって寝ていました。

ポイントに着いてしばらくすると、僕の順番になり、フルフェイスマスクをして
海の中に潜りました。
ゆっくり潜っている最中、眼と眼の間の奥の方がいきなり痛くなって
しばらくしたら治るかなと思ったけどなかなか治まりませんでした。
9年間潜ってきてこんなこと今まで一度もなかったので、スタッフに伝えたかった
けど伝えられませんでした。
30分間で1本目が終わりましたが、痛みのせいでほとんど海の中の景色を
見られませんでした。
船に上がってからバディーに伝えてみると、耳抜きが充分ではなかったのでは?
と言われました。

その後休憩で、僕は喉が乾いていたので、学生さんに何度も飲みものを
飲ませて欲しいと伝えました。学生さんに伝わりお茶を飲みました。
言語障害があっても身振りや手振りで伝わって嬉しかったです。

10分間休憩したあと、同じポイントで2本目のダイビングをしました。
始めに「
2本目もやりますか?」と聞かれてまだ痛みもあったけど、
船の上で待っているより海の中にいるほうがいいと思い、ゆっくり潜っていった
けど、違和感がありました。
下でチームのみんなは僕が下りてくるのを待っていてくれたけど
なかなか下に行けなかったので先に行ってとバディーに指示を出しました。

みんなとは違い、水面を移動したかたちをとりました。
いつもと違い上からチームの姿を見ていつも自分はそのようにダイビングを
しているんだと初めて感じることが出来ました。
20分してから船に上げてもらいウェットスーツを腰まで脱ぎました。

昼ごはんを食べるために港に戻りました。着くまで周りの景色を見たり船に
揺られて気持よくなって寝てしまいました。
目を覚ましたら歩ける方から順番に降りてる最中でした。

僕は後から降りると港で大会用のテントが設置してあってそこに向かいました。
腰まではいていたウェットスーツを学生さん
2人を呼び止めて脱がして
もらいました。

その後、弁当が配られて誰に食べさせてもらおうかなと周りを見渡すと林くんと
飲みものを飲ませてくれた学生さんがいてどっちに頼もうか考えました。
林くんに頼もうと思っていましたが、これからも支援をしてもらうので
学生さんにしてもらおうと考えました。
その学生さんに食事介助の方法を知ってほしいので僕が伝えました。
今回の弁当はおにぎり
2個と、簡単なおかずでしたので、あっという間に
食べ終わってホテルに戻るまでしゃべりました。

しばらくして送迎車で帰りました。それからベタベタする体を部屋のシャワー
で洗い流しました。その後は部屋でゆっくりして、御飯を食べて寝ました。


ーつづくー

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