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新しい生活を始めて1ヶ月が経ちましたが色々問題があります。
例えば平日に入ってたサービス協会がなくなったり
間取りが1Kになって狭くなったり他にもありますが
特にその2点は僕にとって困ったことです。
夕方の介助はサービス協会の女性の方が来て、食事や家事をして
くれましたが今は男性のヘルパーさんが来るようになり
担当の方に変えていただけますかと言うと、始めの2ヶ月は辛抱して下さい
と言われました。でも徐々に変わっていくようです。
あと間取りのことで前の家より狭くなりました。
掃除をするのは楽になったのですが台所が同じスペースにあると
12年間使っている冷蔵庫のモータ音が気になり眠れません。
そんなこんなで気持ちがまいり尿道結石になってしまいました。
環境が変わると体調がおかしくなるみたいです。
少しでも早く今の生活が落ち着いて体調が良くなればいいと思います。
2014年5月15日、12年間住んでいました府営住宅から竹田に引越しました。
引越業者さんが10箱分のダンボールと割れ物用の包み紙を持って来てくれました。
しかしながら忙しくてなかなか用意ができず2、3日前に親に手伝ってもらって
何とかダンボールに詰めることが出来ました。
一人暮しで荷物の量がなくて2、3日で箱に詰められたと思います。
これで府営住宅最後の夜だなぁと何だか寂しい気分になり
あんまり眠れないまま15日の朝を迎えました。
9時に両親が来てくれてヘルパーさんと共に荷物を台車に乗せて下まで運んでくれました。
ガス台と湯沸し器はもう必要ないので管理人さんに相談しました。
そしたら、中国人にあげてもらえたら嬉しいと言われました。
それをリサイクルショップに売りに行くことが出来るからだそうです。
10時から12時の間に赤帽さんがいつ来られるか分からなくて
僕の気持ちは早く来て欲しいと思っていながら待っていました。
そしたら11時に連絡があり、今から20分で着きますとのことでした。
赤帽さんが来てくれて詰めてあるダンボールを次々に運んで
冷蔵庫や家具をスピーディーに運ぶ姿を見て感心しました。
あっという間に部屋の中がスッカラカンになったので心の中で
12年間お世話になりましたと思いました。
親の車に荷物を乗せて、いよいよ竹田の家に行きました。
今にも雨が降りそうな天気で何とか持ってくれないかなぁと思いながら
移動しました。
トラックの方が先に出発したのになぜか僕らの方が早かったです。
それから10分程で全て運び終わるとちょうど雨が降って来ました。
僕と父親で郵便局に行って住所変更の手続をしました。
母親は家の片付けをしてくれていました。
新しい生活に慣れるまでまだまだ時間がかかりますが
楽しい生活を送っていきたいと思います。
引っ越し業者の選定について書きたいと思います。
思いネットで探しました。
「アリさん」とアート引越センターに見積もり依頼をメールでしました。
するとすぐ「アリさん」から電話がかかってきて、そんなに早い連絡が
あるとは思っていなかったのでびっくりしました。
いつ見積もりに来てもらうかすぐ返事しました。
アートはメールでやりとりしながら日程を決めました。
まずは「アリさん」が見積もりに来ました。
見積もりを取ったら72000円であまりにも高く無理でしたので
アートに見積もりを取りました。
その時に「アリさん」からの見積もり額を言うと43000円まで下げてくれました。
あまりの値段の違いにびっくりしました。
ひとり暮らしで、余り荷物がないのに4万円は高いと思い他の所に頼むことにしました。
赤帽のネットで見積もりを取ったら29000円だったので、そこに決めました。
次の日に赤帽に問い合わせて来てもらって見積もりをとってもらいました。
そしたら23000円に下がり、どうしてそんなに値段が下がるのかと聞くと
ネットでとったら2トントラックだったのに実際見たら1トントラックで行けるからだと
いうことでした。もう少し値段が下がりませんかと聞くと
それはもうギリギリなんですよと言われました。
10分間交渉した結果1000円引きしてもらいました。
交渉した甲斐があったなと思いました。
今回の引越業者は、色んな値段の幅があることを知りました。
又、早くに選んでいたらもっと多の所に比較出来たのにと心の中で思いましたが
何とか決まりホッとしました。
突然ですが、今月中頃に12年間住んでいた小栗栖府営住宅から竹田に引っ越し
することになりました。
3月にあるヘルパー事業所の理事長から「4月にバリアフリー住宅が建つので
住まないか」と言われていきなりな話だったので「考えます」と返事をしました。
今の住宅が坂の上にあり、近くの駅から15分もかかり、通勤がしんどいので
理事長に「どこかいい家がないですか?」と相談に乗ってもらっていましたが
まさか今年引っ越しするとは夢にも思わなくてびっくりしています。
最近台所の床がはがれてきている上に車いすを回転させたりするので
板がめくれてきて布テープを貼って補強しています。
他の所もボロボロになっていて、ちょうど引っ越しの時期なのかなあとも
思いました。
他にも、理由はありますがいろんなことを考えて引っ越しを決めました。
でも、府営住宅の近所に友達が住んでいて離れるのがさみしいです。
通勤の時に、その友達の家の前を通っていき、たまに声をかけてくれるからです。
引っ越しに向けていろいろ物の整理をしないといけないのでぼちぼちやりかけています。
今度のマンションは1Kであまり物を置けないのでどうしようと考えています。
僕は畳生活がいいので床を上げてもらうことにしました。
その下が大きな収納スペースになるよう設計してもらうなど考えています。
不安もある反面、楽しみでもあり新しい生活が楽しく送れることを期待しています。
TEMPURA KIDZワンマンライブツアー当日を迎えました。
天気は4月なのに冬型の気温でびっくりしました。
そんな中で厚目の服を着て京阪六地蔵駅に向かいました。
実は23日前から風邪を引いてしまい行く時までに治ってくれと
願っていましたが咳だけしつこく残ってしまいました。
淀屋橋で昼ごはんを食べ地下鉄で心斎橋へ行きました。
そこからかなり迷いました。
僕はヘルパーさんにOSAKA MUSEと伝えたはずが違う所に連れて行かれて
どこにあるのだろうと見回したがどこにもありませんでした。
ヘルパーさんがスマートフォンに間違って入力し行ってしまったようです。
こりゃ間違えてるなと思い人に聞くと逆方向だと教えてもらいました。
公演まで時間があったからよかったもののギリギリだったら
間に合わなかったかも知れません。
逆に間違えたおかげでアメリカ村の道も久しぶりに通れて嬉しかったです。
若者達がいっぱいで電動車椅子の運転が危なかったけど
何とか行けてよかったです。ようやくOSAKA MUSEに到着しました。
僕があらかじめ道順を調べておけば迷うことはなかったのになと思いました。
会場では数人のお客さんがいました。その中にTEMPURA KIDZのために
ハッピ姿のコスプレをした人がいました。そんなのが作れるのかと関心をしました。
公演まで30分時間がありその間トイレに行こうかなあと考えて
近くに大丸がありますとヘルパーさんが言ったので
そこだったら車椅子用トイレがあるだろうと思い行きました。
いよいよ会場に着いたのでスタッフを呼んで連絡した者ですと伝えました。
するとエレベーターの前で待つように言われてしばらくしたら
4階に案内されました。
デジカメでTEMPURA KIDZのポスターを色んな角度から写しました。
お客さんの中に1歳くらいの赤ちゃんと4人の子供をお母さん一人が連れて
来ているのを見て大変そうと思いました。
かわいい赤ちゃんやなあと思って見ていたら僕だけスタッフに呼ばれて
先にホールに入りました。
先日、TEMPURA KIDZのスタッフとやりとりして僕の意見を聞き入れて
くれるか不安でしたが、ちゃんと大人の腰の高さまでの台座が置いてありました。
どうやって台の上み上げてもらおうかと思ったら、
そこにスタッフ3~4人が来てくれて車椅子ごと持ち上げてくれました。
120㎏もある車椅子を上げるのは大変だなあと思いました。
けれども何とか上がり、縦の奥行きがほぼない状態で終わるまで
ここに居なければならないのかと思いました。
ステージからあまり距離がなかったので、それなら見えるだろうと
考えていましたが、僕の斜め横に小学生が乗る台のスペースがあり
どうなるのかと心の中で思いました。
お客さんが入って来て、さっき見かけた5人の子連れのお母さんが
声をかけてきて「ドリンクを引き換えに行きましたか?」と
聞いてきたので「行きました」と答えました。
そしたら「子供を見てて下さい」と言われてヘルパーさんが見ていて
くれました。
お母さんが戻ってきたら開演まで色々喋っていました。
東京公演に行き、その時観客が少なかったらしく、それで見に来たらしいです。
「どこから来たの?」って聞かれたので「京都です」と答えたら
「私達も京都から来ました。実は東京に住んでいるんですが今、
春休みで実家に帰ってきているんです」と言われてびっくりしました。
よく赤ちゃんを連れてくるなと感心しました。
2番目のお子さんはTEMPURA KIDZの振り付けを考えるダンスの先生
の教室に通っていて、たまにTEMPURA KIDZのメンバーが来るようで
羨ましいなと思いました。そんな話をしているうちに始まりました。
舞台から距離はあんまりなくて顔の表情がよく見えました。
たまに小学生が乗る台のスペースで小さいお子さんが見えないために
抱っこして台に乗るお母さんがいて僕の前にいて見えないので
ヘルパーさんに頼んで、のいてもらいました。
ステージでは激しいダンスやかわいい衣装を見ることが出来て
良かったです。YouTubeで見るより生で見るほうが心に残りました。
ヘルパーさんが僕がしてあげてと言ったので、さっきの子どもたちを
肩車してあげていました。
そのヘルパーさんがしんどくなったみたいで途中で降ろして、
しばらくしたら、やってと近付いてきて服を引っ張り訴えてくるので
肩車をしてあげました。それを見て、かわいいと心の中で思いました。
ステージではもうアンコールになりアスタラビスタさんに
スペシャルゲストで来てもらいました。
今回アスタラビスタさんが出した「ヤバスタ」と言うアルバムの
「12日の金曜日」という曲の振り付けをTEMPURA KIDZがしました。
お客さんが大盛り上がりで僕も一緒に歌っていました。
二時間程で終って外に出ると霧雨が降っていて、かっぱを着ようか
迷った結果、着ないで行くことにしました。
又さっきのお母さんが声をかけてきて「わたしたちも京阪で道もわからない
ので一緒に帰りましょう」と言うので「もちろん大丈夫ですよ」と答えました。
帰りの車内は大盛り上がりで初めての経験でした。家族と仲良くなれて
良かったし、こんなことは滅多にないことなので、又会えたらいいなと思います。
今回の行きは僕のミスで少し迷いましたが、大変さが吹っ飛ぶくらい
激しいダンスを見れたり楽しい一日を過ごすことができました。