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12月31日から弟の家族が半年振りにきて、子供が生まれて初めて実家でお正月を
迎えるため帰ってきました。そしてみんなで家でのんびり過ごしました。
僕は子供と一度会っていて久しぶりに見ると初めて会った時はじっと寝ていた赤ちゃんが
今は手や体を動かしたりしてかなりの成長ぶりにびっくりしました。
僕の親が海人くんにメロメロで今まで見たことがないくらい優しい顔で海人くんを
抱っこしたり遊んだりしていました。
僕のおでことおでこをくっつけてぐりぐりしたら喜んでくれました。
それを見てたら嬉しい気持ちになりました。
そんな感じで過ごし1月1日お正月を迎えました。
9時までゆっくり寝ていて海人くんの泣き声で目が覚めました。
家族全員で仏壇の前で順番に挨拶してこの一年健康に過ごせますようにお願いしました。
そのあと毎年してる年上の人から順番に酒盃でオトソをして親が前の日に作ってくれた
おせちを食べました。
栗きんとんとだし巻き玉子が大好物で食べていたらそればっかり食べんと他の物も食べて!
と言われました。
おいしくおせちを食べた後、許波多(こはた)神社とおばあさんの所
(笠取にある老人ホームにいます)に行こうかと声がかかりました。
まず神社に近いので歩いて行きました。
境内の入り口は3年程前にスロープができ助かっているのに1ヵ所段差があります。
どうしてスロープがないのか、訳わかりません。どうせなら一緒につければいいのにと思いました。
3年前は裏の細い道から回って行っていた記憶があります。
もうすでに長い列ができていて親が並び僕と海人くん達は横で待っていて
順番が来てから列に入りました。僕は階段の下でお参りしました。
その後車に乗って笠取まで行きました。
前日に施設に電話して行ってもいいか確認したら、ノロウィルスが流行っているから
部屋に上がるのは無理だと言われ、1階の面会室でしたら大丈夫ですと言われました。
老人ホームに着いたらちょうどおばあさんが下に降りてきていてみんなで部屋に入りました。
去年はどんな理由で行けなかったか忘れましたが、僕は二年振りにおばあさんに会いました。
見てられない程手全体に筋が浮き出ていてかなりやせていたので二年前に比べて様子が
違ったことにびっくりしました。
その手をなでようと僕なりにコミュニケーションをとりました。
初めて海人くんを連れて行ってテーブルに立たせて見せるとニコニコ笑って喜んでいました。
そうしている間に時間が経ってもうそろそろ帰ろうかということになり
海人くんのかわいい写真カレンダーを渡して老人ホームを出ました。
今度又、いつか会えるかわからないが元気でいてほしいなあと思います。
3時頃帰宅し少し海人くんと遊びみんなで夕飯を食べながら楽しく過ごし
そのあと弟が帰るための荷物の整理をして寝ました。
次の日は箱根駅伝を布団の中で見ていたら海人くんが起きてきて一緒に見ました。
しばらくしたら親が朝ごはんの準備をしてみんなで食べました。
我が家のお雑煮は、一日目が白みそで二日目がおすましの習慣があり食べましたが
僕はおすましが好きです。
おもちを3個食べたのでおなかいっぱいになり他の料理が食べれませんでした。
親が「何時の新幹線に乗るの?」と聞くと弟は「12時台の新幹線に乗るよ」と言いました。
まだ一時間程時間があったのでマッタリしました。
三日間海人くんを見ていて成長したなぁと感じました。
僕が呼ぶとハイハイをして寄ってきてなついてくれました。
それと三日前にはできなかったつかまり立ちができるようになり弟は喜んでいました。
そうしてるうちに帰る時間になり近くの駅まで見送りに行きたかったけど
電動車イスに乗るのが大変だったので親だけが見送りに行きました。
今度いつ会えるかわかりませんが会えることを楽しみにしています。
ダイビングを2日目と同じ場所できれいな魚たちがたくさん見られてよかったです。
4日目も昨日と同じ8時に集合だったので朝ご飯を食べるか食べないか悩んだけど
眠たさが勝って集合ギリギリまで寝ました。
ボランティアさんが食べ終わってから起こしてもらいました。
車椅子に乗る時に何か違和感がありました。
こんな身体でダイビングできるか心配でしたがとりあえず集合場所に行きました。
気分が悪くてもどしそうでしたのでスタッフの人に話しました。
「じゃあどうする?」と聞かれたので「とりあえずやってみる。」と答えました。
一本目を終えてあがる時に身体の調子がおかしく寒気がしました。
気分が悪く少しもどしました。
今までこんなこと無かったのにもどしてびっくりしました。
しばらくボートで休んでいれば良くなるかと思ったけど良くなりませんでした。
するとスタッフの人が二本目はどうする?と聞いてきました。
止めると言いました。
その間ホテルに早く帰りたいと思いつつも皆が上がってくるのを待ちました。
それが終わると13時になりました。
ホテルに戻りシャワーを浴びました。
気持ちよくなったところで昼ご飯何食べよう?と思ったのですが
身体が痛く「こりゃ~熱が出るな」と思いベッドでおとなしく寝ていました。
昼食は果物やヨーグルトなどのあっさりしたものを
ボランティアさんがスーパーで買ってきてくれてそれを食べました。
同行していた看護師さんが部屋に様子を見に来てくれて熱や血圧などを計ってくれました。
熱は37℃あり氷枕を頭と脇にしてもらい「そのまま寝ておいたほうがいいな。」と言われ寝ていました。
夕食には行く気もせず次の日まで寝ていました。
5日目は一日自由行動で僕は買い物とスカイダイビングをしたかったので、朝、熱が下がっていたら
行こうと思いました。
朝、再び様子を見るために看護師さんが来てくれて、熱を計ってもらうと微熱がありました。
身体は大分良くなってきたので「外に行きたい。」と話すと「まだ熱があるし止めといたほうがいいな。」と
言われました。
がっくりしてその日はベッドで横になっていました。
朝はコンビニでフルーツとカップゼリーを買ってきてもらい食べました。
寝てる間はボランティアさんは他の人についていきました。
ずっと横になっていてあまりにも退屈なのでTVを見ましたが、英語でわかりませんでした。
やっと昼になりカップうどんを食べました。
ボランティアさんは今までついていた人ではなくホテルに残っていた人でした。
ハワイの麺は味がなく美味しくありませんでした。
旅行で体調が悪くなるのは初めてで、何でかな?と考えました。
電動車椅子じゃなくて自由に動けなかったからかなと思いました。
夕飯はフルーツとカップゼリーで済まし、この一日はなんだったのかな?と心の中で思いました。
一日、ベッドで寝ていて、とてもブルーな気持ちでした。
最終日は元気になり、旅行かばんの整理整頓をしました。
10時にホテルのロビーに出したら空港まで持って行ってくれました。
そういうシステムがあることにびっくりしてありがたいなぁと思いました。
その日は朝ご飯をしっかり食べて、11時の集合時間まで部屋で横になってゆっくりしました。
なんでかというと、これから長時間飛行機に乗るので、車椅子で出歩くと腰が痛くなるからです。
関西空港組のほうが成田組より飛行機の時間が早く、出発しました。
行きと同じ観光バスでした。
ホテルで7日間を共にしたボランティアさんは成田組なので、あいさつをし、お別れしました。
30分でホノルル空港に着きました。
そこにツアーの会社の人が待っていました。チケットを受け取り、その他の説明を聞きました。
日本の空港との違いがあります。
それは空港内に入るまでに荷物検査があって1つ預けました。
日本なら屋内で荷物検査があるのになーと不思議に思いました。
その後、出国手続きはスムーズにいったのですが、後の身体検査する時に靴とか靴下を脱がされました。
それと車椅子に乗って日本のような金属探知機で検査しましたが歩ける方は裸足になって
手をバンザイして機械に入ると機械が回り、物が透けて見える検査をします。
その検査の仕方は初めてで、アメリカはテロ対策で厳重なんだなと思いました。
2人は伊丹空港着便で帰るので早く行かないといけないから、そこで別れて
僕たちは少し出発まで時間があったので、菓子パンとピザを買って食べました。
もう出発の時間が近づいてきたので飛行機の乗り場まで行きました。
行きしなと同じくここまで自分の車いすで行き、空港の車いすに乗り換えて飛行機に乗りました。
それで僕の隣は男のスタッフでしたが、なぜか女の看護師さんに替わりました。
まあ僕は嬉しいんですけど…。
帰りは皆まとまった席が取れたようでした。
そして1週間のハワイが終わろうとしています。
なんだか淋しい気持ちになりそうになりました。
今回の旅行は自分の思い通りに動けない分、しんどい思いをしましたが、しか、
ハワイの海はとっても奇麗でした。
さっそく実家に戻り楽しかった思いを家族に話しました。
そんな感じで今度は家族と行きたいと思いました。
明けましておめでとうございます。
今年もドラゴン日記をどうぞよろしくお願いします。
昨年末にハワイ旅行のブログをアップするつもりで書いていたのにもかかわらず
書けなくて楽しみにしていたみなさんどうもすみませんでした。
1月には必ずのせますのでよろしくお願いします。
この一年の目標を昨年はたてていましたが
さて今年はどんな目標にしようか?と思っています。
昨年、目標にしていたクラブDJがかなわなかったので今年こそは挑戦してみたいです。
その他、自分らしく色んなことにチャレンジしたいです。
例えば今年は海外に行く機会があるので向こうの障害者とコミュニケーションを
とりながら日本と海外との生活の違いなど現状を知るきっかけを持ちたいと思っています。
今年一年みなさんにとって健康に過ごせますように (^O^)
洗顔と歯磨きをした後に朝食を取りに1階のレストランに行きました。
そこは、ホテル内にある3階建ての大きな水槽の中を泳ぐ熱帯魚たちを
眺めながらゆっくりと食事を食べれるところでした。
バイキング形式でボランティアさんに取りに行ってもらうように頼みました。
その間水槽の魚達を眺めながら「昼からのダイビングこんなのが見られるのかな。」
と思っていました。
パンとサラダと少しのおかずをもってきてもらい食べました。
朝は僕は少しだけしか食べることが出来ず多くは無理です。
部屋に戻り30分程ベッドで休憩した後で行く準備をしました。
ダイビングは2班の6人ずつに分かれて僕の入っている班は、
11時半に1階のロビーに集合しました。
皆、集まったところで現地のショップの方のバンの迎えで
ヨットハーバーまで車で10分かかりました。
迎えにきたのが、なんと可愛い外人の女の人でした。
心の中で、「スタイル抜群で、タイプの人だなぁ。」と思いました。
その人が3日間送迎に来てくれるのかな~と心ウキウキしました。
でも次の日は来ませんでした。
そんなことなら写真を撮っておけばよかった!考えが甘かったです。(泣)
…と考えながら到着しました。
午前のチームの方がボートから降りてホテルに帰る用意をして待っていました。
僕達はウェットスーツを腰まで着たのでボートにすぐに乗るのかなと
思っていたらなかなか乗る気配がありませんでした。
スタッフさんが午前中も潜ったので休憩しないといけなかったので
乗れませんでした。
やっとボートに乗る声が掛かり車いすと共に船に乗りました。
あっという間にポイントに着きました。
潜る順番をスタッフさんが決めて発表し、僕は真ん中ぐらいでした。
あと、そこの場所とかどんな魚がいるのか説明してくれました。
僕のバディーはいつも沖縄でダイビングする時の船長さんで
とてもよくわかってくれている人でした。
生まれて初体験のハワイの海だったからワクワクした気持ちで入りました。
沖縄では見られない大きな海ガメがたくさんいて感動しました。
他の人がカメの手をつかんだらカメが怒ってかみつきそうになり
その方のバディーがあわててその人の手を払いのけたので助かりました。
そういうハプニングがありながらもどんな魚がいるのかなぁと思いつつ散策しました。
珍しい魚たちがいて名前を聞いたけど忘れました。
30分間潜って上がり、ボート乗り場が近かったのでそこまで戻ってきて休憩しました。
なぜボート乗り場に戻ったかというとスタッフがお弁当を食べるためです。
僕は車いすから降りて寝ころびました。
エンジンがとまっていたのでうるさくありませんでした。
30分後に次のポイントまで寝ころんだままで行きました。
1回目のすぐ近くのポイントみたいでした。
そこは大きな客船が沈んでいてそのままの状態で残っていました。
いざ潜っていくといくら潜ってもなかなか下に着かないので
不安になりつつバディーに任せました。
ようやく下に着くとなんと見たことのない船がありました。
そこの船体にでかいカメがいました。
カメの首が船首に入っていました。
あんなとこで何をしているんだろうと思うと寝ていました。
それを見た後、この船のデッキの周辺を周りました。
そして、ダイビングが終わりの時間になり上に上がりました。
後からビルの10階分くらいまで潜っていたと聞いてびっくりしました。
全員上がったところでホテルに戻りました。
お昼ごはんを食べていなかったのでおなかがペコペコになりましたが
先にシャワーを浴びないと気持ち悪いので浴びました。
それから15時過ぎにホテルの近くのマクドナルドでチキンバーガーを食べました。
大きいサイズを注文されたので食べられるか不安でしたがちょうどよかったです。
その後は少しその辺をうろうろしてからホテルに帰って寝ました。
晩ごはんは、有名な店らしく一日中いつも並んでいるという店に行って並びました。
店の名前は忘れましたが…。
しばらく待っていたら鳩のふんが僕のひざに落ちてきました。
タオルで拭きましたが取れませんでした。
仕方ないのでボランティアさんがティッシュで取ってくれました。
20分後ようやく店に入れました。
何を食べたか忘れましたがおいしい物をたくさん食べた記憶があります。
その後はまたホテルに帰って寝ました。
次回に続く…
頭にはアップしますのでお楽しみに!!
9/6~12にかけてハワイのオアフ島に行きました。
第15回バリアフリーダイビング全国大会アニバーサリー&第13回関東大会in Hawaii
に参加したのです。
本当は父親と一緒に行く予定でしたが、行く前日までカナダに行っており
一緒に行けませんでした。
でも行きたいので、どうしたらいいか主催の日本バリアフリーダイビング協会に
相談したら「考えます」と言ってくれました。
行く2週間前に連絡がありボランティアさんが見つかりましたという
うれしい返事がありました。
行けることが決まり僕はうれしかったです。
9/6当日は空港に2時間前に行かないといけないので家を17時半に車で出て
空港に19:10に着きました。
飛行機が21:20発なのでぎりぎりでした。
沖縄や山口からの同じツアーの方がいらっしゃいました。
出発の手続きをしました。
何か問題が起こるのでは...と思っていましたが予感が当たりツアーのスタッフが
3人しかいなくて参加者の荷物を運ぶのが大変で時間がかかりすぎました。
カウンターに行ってチケットをもらって確認すると
みんな席がバラバラでなんとか1まとまりにならないかお願いしました。
すると「空いている席があまりないのでできません」と言われました。
バリアフリーダイビング協会の方が怒りながらモノレールに乗り
飛行機乗り場まで行きました。
それを見て大変やなーと思いつつ車いすの方は先に飛行機に乗りました。
僕の席は窓側の列の通路側でした。
隣りにさっき怒っていたスタッフが座りました。
スチュワーデスさんに「こんなことあまり言ってもあれなんですが...」
と言いながら説明していました。
離陸してから寝ようと思いましたが寝れませんでした。
席の前にモニターがあり、そんなのがあるなんてびっくりしました。
いろいろ映画とかバラエティとか音楽がいっぱい入っていて
好きなものを選んで見ることができました。
僕は「紅の豚」を見ました。
それから時間はわかりませんが、食事が出てきました。
隣りの席のスタッフに食事介助をしてもらいましたが初めてで
できるか不安でしたがうまいことできてよかったです。
8時間ぐらいの長旅で寝ないと疲れると思ったけど
後ろがトイレでうるさくて寝れなくて、結局15分しか寝れませんでした。
ようやく8時間の長旅が終わりホノルル空港に着きました。
飛行機から降りたら日本の空気とは全く違い
良い天気で汗も出ず過ごしやすかったです。
汗が全く出ないということが初めての経験でした。
羽田空港発の便の方が到着時間が1時間程遅いため関西組は
外で待つことにしました。
みんなの荷物はバンに乗せホテルの部屋まで運ばれました。
リフトバスが来るまでの間に羽田組も到着しました。
そこで、僕が今回お世話になるボランティアの人に会いました。
「7日間よろしくお願いします。」と挨拶しました。
バスが来ましたがリフトバスではなかったのでスタッフが
「リフトバスじゃない。」と言っていて
僕は「マジかよ。」と心の中で思いました。
それで、みんなバスに乗れないので、バスを替えてもらうことに
しましたが20分かかりました。
バス乗り場のような所でバスが来るまでじっと待ちました。
ようやくリフト付き観光バスが到着し車いす4台は真ん中のリフト
から乗り、30分後にパシフィックビーチホテルに着きました。
お昼ごはんを食べていなかったのでホテルの近くにワイキキビーチがあり
そこの海の売店でハンバーガーを食べました。
平日なのにたくさん人がいて泳いだりサーフィンをしたり楽しそうでした。
ホテルに帰って荷物の整理をしました。
それから2時間ベッドで休憩しました。
ダブルベッドだったので僕は寝返りし放題でよかったです。
もう晩ご飯の時間になり1階のロビーに集まり全員で外のレストランに行きました。
そこはバイキング方式で、ロブスターがメインでした。
電動車いすじゃなかったので自分で選べず、適当に選んで持って来てもらいました。
しばらくしたら今回のツアーの流れをスタッフが説明してくれ
全員自己紹介をしました。
次の日の予定のダイビングが全員同じ船に乗れないので
午前と午後に別れてダイビングすることになりました。
なんと僕は午後になりました。
それを聞いてラッキーと思いました。
それは朝ゆっくり寝れるからです。
そんなこんなで夕食も終わりホテルに帰って寝ました。
次回に つづく...