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ドラゴン日記

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沖縄


6月2日から5日まで沖縄に行ってきました。
毎年行っているダイビングの大会と違って
今回は両親がダイビングのライセンスを取りに行くので
僕もついて行くことになりました。

それから母親が誘ったので保育園の時の先生も一緒に行くことになりました。
(昨年の大会にも一緒に行ったのですが、潜れなかったので…)

2ヵ月前に新聞の広告に載っていた往復航空券とホテルと
レンタカーがセットになったツアーに申し込みました。

2日の朝、家を車で出発し、空港に飛行機の出発時刻の1時間前に着きました。
そしてチケットをもらいに旅行会社のツアーカウンターに行きました。

例のごとくカウンターで係の人に僕の電動車いすを見て
「会社から聞いてません」と言われました。
事前に電動車いすについての資料を送ったのに(!)
おかしいなと思いました。

そしたら旅行会社に電話して、さらに電動車いすのメーカーにも電話されました。
(バッテリーを目で確認できなかったので)
でもメーカーは土曜日で休みでした。

長いこと待たされ出発時刻ギリギリになりました。
今回は特別と言われ飛行機に乗れました。
毎回同じことを言われています;
詳しくは昨年のブログを見て下さい。

伊丹を11時5分に出発し、那覇に13時に到着しました。
降りたらジワーッと蒸し暑かったです。
こんな梅雨の時に行ったことがないので
京都と同じようにジメジメした感じでびっくりしました。

空港にリフトカーが迎えに来てくれる予定でしたが、車検に出されてなかったので
仕方なく僕と母親はユイレールでダイビングショップの近くの駅まで行って
父親と先生はバスでレンタカーを借りに行きました。

弱い雨が降っていてイヤだと思ったら、ショップの人がバンで迎えに来てくれました。
車いす用じゃないので木の板をスロープにして電動車いすをのせてもらいましたが
板が折れそうでこわかったです。心配だったけど乗れてホッとしました。

父親も到着し、ライセンスを取るための講習のビデオを一緒に見ました。
見終わったあとに試験がありました。
僕は6年くらい前にとったのですが、忘れていることもありました。

4月に耳介血腫になったので心配でスタッフの人に聞いたら
様子を見て、もし痛くなったらすぐに上がることにしましょうと言われました。
僕が話している間、親は試験を受け18時半にやっと終わりました。

福祉タクシーを頼んでもらい、ホテルまで行きました。

雨が降っていて外に出られなかったのでホテルのレストランに行くことにして
部屋から電話しました。
すると混んでいて40分待ちですと言われ仕方がないので待ちました。

20時45分にようやく空いたと連絡がありレストランに行きました。
ゆっくり晩ご飯を食べて、次の日は6時起きなのですぐに寝ました。

                      ~次の日へつづく。








 

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横浜

今年のゴールデンウィークは弟の家に行ってきました。                
2月14日に甥が産まれ、その3日後に一度会いましたが、横浜に住んでいて
なかなか会えないので、このゴールデンウィークに親と一緒に旅行を兼ねて
赤ちゃんに会いにいくことにしました。
どんなふうに大きくなっているか楽しみでした。

5月2日の9時頃、実家を出発しました。
当日は雨が降っていて、父親が混んでいるのが嫌いで、早目に出たがっていたので
この時間になりました。

母親はもう少し遅く行きたかったとちょっと言い合いになっていました。
どうして母親が遅く行きたがったのかというと、弟が仕事に行っていて18時頃でないと
帰ってこないので、という理由でした。

高速道路は意外に空いていて、スイスイと行けました。途中何回か休憩をとりながら、
お昼は雨で僕の車いすが外に出られないので、家から持ってきた弁当を食べました。

4月に開通した新東名を僕が通りたいと言ったので通りました。
道もなめらかで、トラックもあんまり走ってなくてとっても走りやすいと父親が言ってました。

僕は助手席に座っていたのですが、いい気持ちになって眠ってしまいました。
ふっと、目を覚ますともうすぐ横浜に着くと父親が言いました。
横浜の高速道路は出口がややこしく、すぐに車線変更しないといけないので
カーナビがないとわからないくらいです。

高速をでて、時計をみたら15時前でした。 
そのままいくと5分くらいで着いてしまうので、夕食の材料を買いに、
近くのスーパーに寄りました。
親が弟の奥さんに電話をして、もう近くの店にいると伝えて、何か今日の用意を
しているかと聞いたら、弟が買ってくると言っていたので、何も用意していないとのことでした。
ちょうど、実家から竹の子ご飯と竹の子の煮物など持ってきていたので、弟に買って来ないで!
とメールをし、少し買い物をしてから家に行きました。

雨が降っていたため家に入るのが大変でした。
なぜなら、弟の家は玄関に入るまでに、ガレージと石畳の通路があり、玄関にも段差があるからです。
だから、おんぶしてもらって中に入りました。

中も2階がリビングなので、どうしても上がらないといけないから、おんぶしてもらいました。
階段も急で危なかったです。障害のあるぼくにとってはキツイ家です。

こんな感じで2階まで上がると目の前にベビーベッドがあり、甥が寝起きで、
寝転がっていて、誰やろう?とキョトンとしてました。
荷物を運ぶ間、床に座って赤ちゃんを見守っていました。
運び終わって僕はずっと床だとしんどいので、ソファーに座りました。
そのソファーは小さく僕が寝転ぶと足がはみでました。
僕的にはもっと大きいソファーがよかったと心のなかで思いました。
 
みんながリビングに集まって、あらためて赤ちゃんをみたり、抱っこしたりしました。
あっ、赤ちゃんの名前は海人と言います。

前に会った時と比べて、体も一回り大きくなり、表情も豊かになっていました。
僕がソファーに横になった状態で海人君を膝の上に座らせてみました。
まだ、首が座っていないので、父親に首を支えてもらい写真を撮りました。
なかなか、いい笑顔になってくれなくておもちゃを鳴らしてやっといい顔になって、
いい写真が撮れました。

首が大丈夫かなと思うくらいよく動いています。
奥さんによく動きますねと言いました。そしたら、なんでか、首が激しくクルンクルンとなるんです
と言ってました。

親が抱っこしてる時、弟からメールが来ました。
生徒に問題があり、少し遅れるということでした。

そろそろ、晩ご飯の準備をすることになり、父親が台所を借りて、よく実家で作ってくれる
おなじみの料理を作ってくれました。

作っている途中で弟が帰って来ました。
急に赤ちゃん言葉で海人君に話しかけました。そういう話し方になるとはびっくりしました。

そして、晩ご飯の時間になって、みんなでテーブルを囲んで父親の作った料理を食べました。
その間、海人君はおとなしくベビーベッドに寝転んで、ベッドメリーが回っているのを見てました。
ベッドメリーは音楽が鳴り止むと泣くので何回も鳴らしました。

僕達はご飯を食べながら、海人君が生まれてからのビデオを見ました。
生まれてすぐは猿みたいな顔でした(笑)
時計をみると、21時過ぎていました。

お風呂に入れるか聞くと、お風呂は1階で階段を降りないといけないのでですが、父親も弟も
お酒が入っていて危ないので明日にしてと言われました。
ま、いいっか昨日入ったしと思いました。仕方がないので、僕はソファーに横になりました。
しばらくして、弟が布団を持って来てシーツを掛けてくれました。
僕と父親はリビングで寝ました。
弟が隣の部屋でネットをし出したのと、雨の音で僕はなかなか寝付けませんでした。
 
2日目の朝、目が覚めたら、皆もう起きてました。
皆がいるなかでもなかなか布団からでられませんでした。
僕がなかなか起きないので、みかねて弟が海人君を横に寝かせました。
海人君はおとなしく僕の顔を見ていました。
僕は海人君の小さい手をちょっと触りました。
ふわふわして気持ちよくなってやっと起き上がれました。
それから、朝ご飯で今まで食べたことのないパンを食べました。

今日も雨が降っていたのでこれからの予定を考えましたが車いすが濡れるので外出するのはやめました。
晴れていたら、どっか外に行こうと思っていたのに残念でした。
母親が弟夫婦に「たまには2人でご飯でも食べに行っておいで!」
と言いました。
弟夫婦は2人でお昼ご飯を食べに出かけました。

それで家に僕と両親と海人君が残りました、何もすることがないので、テレビを見ていました。
海人君はおなかいっぱいでずっと横になっていたので、僕達は暇でした。
父親はあまりにも暇なので近所のお惣菜屋さんに買い物に行きました。

その間いつ雨が止むのかなーと僕は思いながら寝てました
結局、雨は小降りのままやまず、どこにも行けませんでした。

お昼ご飯は父親が買ってきた惣菜を食べました。弟夫婦は早く帰って来ました。
あまりにも早いので、もっとゆっくりしてきたらよかったのにと母親が言いました。

昼から何もすることがないので、16時までだらだら過ごしました。それから晩ご飯は
何にしようかと相談し、しゃぶしゃぶに決まりました。
材料は父親と弟が買いに行きました。
僕が何をするでもなく、携帯をいじっていたら、海人君が来たので抱っこして遊びました。
どういうふうにあやしたらいいかよくわからなかったのですが、なんとかだんだん、
笑顔になってくれたのでよかったです。
晩ご飯の前にお風呂に入りたかったので父親にいって入りました。

手押し車いすを持っていたのでそれをお風呂の前に置いて、そこで父親が呼ぶまで待っていました。
父親の準備が終わって車いすで服を脱いでお風呂に入りました。

実家に比べてお風呂の床が今風の床でそのまま座っても痛くなくいい気持ちで
バスタブも広くてよかったのですが、足をつっぱらないとバランスを崩しておぼれそうでした。
二日間も入っていなかったので気持ちよくなりました。
30分間ゆっくり入りました。お風呂から上がり、また車いすで着替えて、父親がお風呂から上ってくるのを待ちました。
それから弟を呼んで2人で2階に上げてもらいました。
晩ご飯の時間になりしゃぶしゃぶをみんなで食べました。とても美味しかったです。
その夜は特に何もなく22時半頃寝ました。
夜中に少し海人くんが夜泣きしたぐらいで、あとはぐっすり寝ました。

次の日は道路が混んでいたら困るので11時頃帰ることになりました。
かわいい甥っ子と別れるのは寂しかったです。

帰りの高速は初めのうちはスムーズに行けていたのですが、やはり混んできて30分のろのろ運転でした。
それが終わったと思ったら雨がきつく降ってきました。
雨が降っていると僕が外に出られないので、なかなかお昼ご飯を食べに行けず困りました。
しかも連休の中日でSAに入るのも車が並んでいて入れませんでした。
やっと空いているSAに着いたのですが、お店が混んでいたので車の中でパンを食べました。
14時半でした!休憩をした後に家まで帰りました。
行きは6時間で行けたのに、帰りは9時間かかりました。かなり疲れました。

 今回のゴールデンウィークは雨が降ってどこにも行けませんでしたが、甥っ子に会えたのでよかったです。
いい思い出になりました。
今年の夏は弟が甥を連れて京都に帰って来るので、それが楽しみです。

3/24,25 父母の会レクリエーション 〈2日目〉

…前回の続き。

9時半にホテルのロビーに集合なので6時45分に起きました。
僕は朝が苦手なのでなかなかベッドから起きられず
車いすに乗るのに5分くらいかかりました。

それから朝食の会場の海の見えるレストランへ行きました。
7時なのにもうすでに席がいっぱいで少し空くのを待ちました。
待たなくてはならないとは思わなかったです。

やっと順番になり店員さんが席まで案内してくれましたが
海とは反対の外が見えない席で残念でした。
海が見たかったのですが、その席しか空かなかったのです。

朝ごはんは、バイキング方式でしたので
親に色んな物を取りに行ってもらいました。

普段は朝ごはんを全然食べないのに 今日は沢山食べれました。
気分が良くて、内容も和食だったからです。
ゆっくり食べた後、部屋に行き支度をしました。

9時半になったので、ホテルのロビーに行くと
もうすでに他の人が集まっていました。

僕は、親の車に乗って他の人はバスに乗って
2日目の予定の淡路ファームパークイングランドの丘に向けて出発しました。

当日の天気は曇り空でやけに風がきつかったです。
10分程で着きました。

車から降りたら冬みたいな寒さで、ダウンジャケットを着ないと無理でした。
3月も終わりだというのに、そんなに寒いなんてビックリしました。

入口で全員そろい 園内の説明を聞きました。
12時に ここへ戻ってきて下さいということでした。

どこに行こうか親と相談した結果あまりにも風がきついので
室内から周ろうということになりました。

それでまずコアラ館に行きました。
1匹ずつ柵が別れていてユーカリの木の枝につかまり
じっとして寝ているようでした。
20匹ぐらいいて、1匹しか起きていませんでした。
顔が見たかったのですが下を向いていて見れませんでした。
僕はなんてついていないんだ!と思いました。

通路の反対側にコアラの説明書きがあってどこの国にいるかとか
お母さんのおなかの中にいるときから生まれるまでのイラストとかがあり
それを読んでそうなんだと思いました。

エサの時間が11:45からだったのですがちょうど集合時間なので見れませんでした。
それからワラビー広場、うさぎの国、バードパラダイスなどで動物を見ました。
うさぎの国は動物とふれあいができるので入りたかったのですが
入り口が狭く2重扉になっていて僕の車いすでは通ることができませんでした。

残念に思いながら植物館(大温室)に入りました。
入り口の扉を開けると暖かくずっと入っていたかったです。
いろんな花たちが咲いていてきれいでした。そこで写真を撮りました。
そんな感じで温室内をぐるっと周りました。
外に出るのが恐怖でしたが仕方がないので出ました。

入口まで戻りたかったのですが前の近道には階段しかなく
隣が芝生だったのでそこを横切ろうとしましたが、段差があって無理だったので
通って来た道をだいぶ戻って入口まで行きました。

無料シャトルバスに乗らないと隣のエリアに行けないのでバス停に行きましたが
人がいっぱい並んでいました。
車いすで乗れるかなぁと思っているとバスが来たので運転手さんに聞きました。
するとスロープがあるので大丈夫ですと言われました。

バスが3台あったのでしばらく並んでいると乗れました。
このバスは汽車の形をしていて3台それぞれ違う形でした。
イングランドエリアに着いてとりあえず1周することにして歩き出しました。

野菜畑の間を行くとトマトとか野菜が植わっていました。
その周りにはお花畑があって菜の花が咲いていました。

それから遊びの広場ではたくさんの子供達が遊んでいました。
それを横目で見ながら池まで行き橋を渡りました。

目の前にひつじの国がありそこに行きました。
ひつじがたくさんいてその内何頭か柵に入っていました。
柵のそばを通ると電動車いすが珍しいのか近くに寄ってきてエサを
欲しそうにしていました。ふわふわしててかわいかったです。

別の広場でエサやりをする所がありました。
自動販売機でエサを買って中に入るのですが
僕は動物が苦手なので入りませんでした。
その周りをうろちょろしていました。

しかし、電動車いすのバッテリーがもうちょっとでなくなりそうになっていることに
気づきました。
実は家に充電器を忘れてきたので昨日の晩充電できませんでした。
帰りまでもってくれと心の中で思いました。

それからお土産屋さんに行きました。
僕は見ただけで親が何かお土産を買っていました。

そしてバッテリーもないことだしまた無料シャトルバスに乗り
入口の所に戻り集合場所に行きました。

全員集まった後に昼食を食べる食堂に向かいました。
食堂は2階で階段しかなかったので、皆は2階で食べましたが
僕や車いすの人は仕方がないので1階の従業員休憩室を開けてもらい
そこで幕の内弁当を食べました。
車椅子の方がいるのをわかっていながらどうしてそこの食堂を選んだんだろうと
疑問に思いました。
窓の外を見ると、今から行く橋の歩道が見えて風が吹いて寒そうな感じでした。

食べ終わり全員揃ってから徒歩ですぐ近くの大鳴門橋遊歩道 渦の道へ行きました。
入口で電動車いすのバッテリー残量が少ない印の赤いランプがつきました。
そのまま動くと止まるかと心配になりました。
今まで止まったことがないのでちょっとぐらいなら大丈夫かと思い中に入りました。

大鳴門橋にある遊歩道の途中何カ所かがガラス床になっていて下をのぞくと海が見えます。
車いすだと危ないなぁと思いながらも行きました。
450m先の展望室に到着し渦潮を見ました。
ものすごいぐるぐるになっていて感動しました。

それを5分見た後で戻りましたが
その時、電動車いすがスピードを出しても
ゆっくりにしかならず変な動きになりました。
こんなことは、初めてな事でちょっと不安になりました。
出口まで動いてって願いながら動きました。
なんとか駐車場まで行けたので良かったなって思いました。

橋をバックに写真を撮りました。

これで、今日の日程は全て終了になり、帰りの高速に乗りました。
途中、休憩と買い物で淡路ハイウェイオアシスに寄りましたが
僕は車椅子のバッテリーの残量がもう無い為車からは降りず
親だけ降りて買物をしました。

おやつにスイートポテトを買って車の中で食べました。
よく混む西宮名塩から宝塚辺りがやはり混んでいました。
バスの後ろについて行きましたが幹事さんがあまりにも混んでいるので
宇治の解散場所まで行かなくてもいいですと言いました。

僕たちはバスと別れることにし追い抜いたり追いつかれたりしましたが
バスは途中PAに入って行ったのでそこで離れ家に帰りました。

宇治に17:30到着予定でしたが結局18:30に家に着きました。
無事に帰れてよかったです。

今回のレクリエーションは楽しめたし僕が行ったことのない淡路ワールドパークONOKOROや
イングランドの丘に行けました。しかし天気がよくなかったのが残念でした。

またいい天気の時に行けたらいいなぁと思います。










 

父母の会レクリエーションIN淡路島

宇治市父母の会レクリエーションで3/24~25 淡路島に行ってきました。
9時半に宇治市総合福祉会館から出発なので僕の家まで両親が車で迎えに来てくれて
そのまま集合場所まで行きました。

父母の会のレクリエーションの時はいつもボランティア協会のリフトカーを頼んで
もらっていましたが、今年は親の車が変わって乗りやすくなったので頼みませんでした。

集合場所に着くと混雑していて何でやろう?と思ったら、福祉会館とその隣の産業会館の
駐車場にテントがたくさんあって、環境イベントの準備をしているところでした。

そんな中、皆集まりバス1台と車2台(僕の家の車ともう1台)で出発しました。
出る時、バスが方向転換をしましたがテントぎりぎりの所でさすがバスの運転手!と思いました。

宇治西ICから京滋バイパスに乗って高速道路に入りました。
ふっと車の窓から京都の方を見ると雨のような空でした。
こっちに近づいて来るかなぁと思いました。

途中5kmの渋滞にはまってしまって止まったりのろのろ動いたり30分以上
そういう状態が続きました。
前の方で追突事故も発生し更に混んでこんな時に事故を起こすなよと心の中で思いました。
やっと渋滞を抜けて休憩のPAに入ったら雨が降り出し、横風がきつく
車から外に出れる状態ではなかったので僕は車を降りませんでした。
10分後に出発したら雨はあがりました。
今の雨は何だったんだろう?!と、天気が不安定だなと感じました。

明石海峡大橋を何年かぶりに通りました。
海が荒れていて風がきつく車がゆれて危ないと感じる程でした。

ようやく淡路ワールドパークONOKOROに到着しました。
予定より1時間半も遅れました。

入ってすぐ海の見えるレストランへ行きお昼ごはんにタコカレーを食べました。
タコカレーって何かなと思ったらカレーライスの上にタコのから揚げがのっていました。
そういう料理は珍しかったです。

展望台から外を眺めたかったけど、寒いし時間がなかったので残念ながらやめました。

それから手作り体験教室に行き白いマグカップに絵付けをしました。
どんな風にしたかというと、僕の下の名前を書き、間にいろんな型があるうちの
何個かを選び色を塗りました。
絵心のない僕にとって型があったので変な模様にならずに仕上がってよかったです。

焼くのを待つ間に童話の森を通ってミニチュアワールドを見学しました。
世界の有名な建物がミニチュアサイズになっていて精巧に造られていました。
僕はイギリスのバッキンガム宮殿に行ったことがあるのですが、本物と同じようでした。

ミニチュアワールドを一通り見終わりましたが集合時間までまだ時間がありましたので
遠くに小高い山があり、その上に人がいて、「あそこで何をしているんやろう?」と聞くと
父親がパンフレットを見せて、「芝すべりの場所や。」と言うことで、行ってみました。

行くと子ども達やその親が、ソリを使ってすべっていました。
僕もすべりたかったけどどうやって僕を上まであげるかが問題になってお金もかかるしやめました。
人工芝がボコボコになっていて、初めて見るので、こんな芝生もあるんやと思いました。
それから辰悦丸を見て、集合場所に行きました。

そこでさっき絵付けしたマグカップを受け取りました。
さっそく箱から開けてみるときれいな感じになっていて使うのがもったいないくらいでした。
ONOKOROは寒くて人が少なくてさびしい所でしたが混んでいないし、
かわいいマグカップも作れるしオススメです。

そこから30分後にホテル夢海遊淡路島に着きました。
一度ホテルのロビーに集合し、幹事さんが20分後に父母の会の60周年記念式典を行うので
コンベンションホールに集まってくださいと言いました。

その間部屋にいようと思っていたのに、部屋に入った瞬間タバコのにおいがして
入りたくない気分になりました。
すぐ窓を開けて換気をし、ちょうど廊下をホテルの従業員が通ったので呼んで
「どういうことですか?」と言いました。
そしたら空気清浄機を式典の間に置いておきますと謝って言いました。
古いホテルでトイレと洗面所に行く所に15cm程の段差があり、
全然バリアフリーじゃありませんでした。

そんなこんなで式典が始まる時間になりホールに行きました。
なかなか始まらず、待っていました。
やっと始まり、最初に司会者が1時間もかかりませんと言ったのにもかかわらず1時間半も
かかりました。

式典の内容は会長のあいさつに始まり10年の歩みやボランティアさん表彰などでした。
10年の歩みの時にプロジェクターで写真が映し出されたのですが、僕の写真もありました。
長々とやるので眠くなりました。
こんな感じで次は70周年のお祝いができるよう願って式典が終わりました。

食事時間まで1時間だったのでお風呂をどうするか父親と話しましたが、長い間車いすに座って
腰とか足が疲れたので部屋に帰ってベッドに横になって休憩することにしました。
(お酒が入るとすぐ寝てしまいお風呂に入れなくなるので悩みましたが(笑))
30分程たった後で晩ごはんの会場へ行きました。

広いホールで丸いテーブルがいくつもあって席に名前があったのでそこに座りました。
前菜とかお刺身がもう並べてあり、おいしそうやなぁと思いました。

そうこうしている内に皆そろい会長があいさつして、乾杯し食事が始まりました。
他の人と話をしながら楽しく食事しました。
でもお料理が出てくるのが遅かったので、子供達が退屈そうにしていました。

お料理はいろいろ出たのですが、それぞれの席に1人用コンロが2台ずつ置いてあったので
何かなぁと思ったらしゃぶしゃぶと焼き魚でした。
そのコンロに火を点けるのも遅く、いつ点けてくれるのかなぁと思いました。
仲居さんが来る様子もないので呼びました。そしたら来てくれて火を点けてくれました。
そのしゃぶしゃぶは口の中でとろける程でとても美味しかったです。

ひと段落してカラオケが始まりました。僕も歌いたかったけど遠慮しておきました。
子供達が楽しそうに歌っていました。
それからしばらくしてお開きになりました。

僕は風呂にも入らず部屋に帰ってすぐ寝ました。

                           次の日に続く…(*^_^*)








 

車椅子教室@宇治市立南小倉小学校

3月7日

今年度ピースからは4校目、僕の参加は3校目の
「きらめき車椅子教室」に行ってきました。

午前はいつも通りピースでパソコンをしてから早めの昼食をとり、
12時ごろにピース号2台で今日の「きらめき車椅子教室」がある
南小倉小学校に向かいました。

大体いつも電車かピース号1台で行くので珍しいのですが、
今日は行く人数が多かったから2台でした。

学校に到着し、指定された場所に駐車して体育館に行きました。
昨日の雨でたくさんの水たまりができていたのですが、
そこを通ったら体育館がドロドロになると思い、水たまりを
避けながら行きました。

体育館に入るのに10cmくらいの段差があり、職員に
車椅子の前の部分を上げてもらいました。
昨年もなくて、先生に聞いたら木の板を用意してゆるやかな坂に
なるようにしてくれましたが、今年はスロープがなくて不思議でした。
担当の先生がかわったのでなかったのかなと心の中で思いました。

教室が始まる前にいつものように準備をしました。
卓球台が3台用意してあったのでネットを張りました。

しばらくしたら5年生が体育館に入って来ました。
そして舞台の前で自己紹介とピースの紹介をしました。
児童たちは静かに耳を傾けていました。
人数が少なかったので聞き取りやすかったなあと感じました。

今日は電動車椅子サッカーのデモンストレーションと、
卓球バレーと車椅子バスケットの体験がありました。
デモンストレーションは体育館の後ろのスペースでするので、
みんな、後ろを向いてもらいました。

まずは車椅子の操作方法を説明した後、僕が電動車椅子サッカー
のデモンストレーションをしました。

いつも三角コーンを置いてゴールにしているのですが、
用意していなかったので、あせって代わりになりそうなものを探し、
パイプ椅子を見つけて、2脚置いてゴールにしました。
初めにちゃんと三角コーンが用意してあるか確認しておけばよかった
と反省しました。

最初にドリブルをして、シュートしました。
前回のブログに書きましたが、僕の電動車椅子は足置きが壊れてしまって
まだ治っていないので、ちゃんとシュートできるか心配でしたが、
ちゃんとできてホッとしました。

次は卓球バレーと車椅子バスケットに別れて体験をしてもらいました。
僕は卓球バレーの担当で児童と一緒にやりました。

実はきらめき車椅子教室で卓球バレーを実際にやったのは初めてでした。
なぜかというと今までは体験する人数が多くてやる機会がありませんでした。
今日は卓球台も多かったので僕も参加しました。
まさかやるとは思わなかったので、やるとわかっていたら
自分用のラケットを持って来たのになあと思いました。

1ゲーム目からみんないい感じに打てて、点もたくさん入り、
わきあいあいと楽しくできました。
15分交代で他の子とかわりました。

続けて僕もやっていたのですが、ちょっと気になることがあり、途中でやめました。
本気でやる子もいればそうじゃない子もいて、児童もいろいろ個性があるなあと思いました。

ちょっと休んでいると1人の先生が近づいてきて「お母さんのこと知っています」
と言い、僕もその先生を見たことあるなぁと思っていたら、前に母親について
行った先生の研修会で会ったと気付きました。
そしてピースフルリンクの名刺を渡しました。

そのあとは、車椅子バスケットと卓球バレーの両方を少し遠くから見学していました。
車椅子バスケットを見ながら元気で車椅子操作も初めてなのに上手にしているなぁ
と感心しました。

そう思っているうちに、「きらめき車椅子教室」も終わりの時間になり、
再び舞台の前に皆集まり、先生が「今日の感想はありませんか」と子ども達に言われ、
たくさんの子ども達が手を上げて、感想を言ってくれました、

「卓球バレーは、初めてしたので、面白かったです。」や
「車椅子バスケットは、パスをするのが難しかったです。」など話してくれました。
いろいろな感想が聞けて良かったです。
今日は感想だけで、質問はありませんでした。

その後親が迎えに来て、先生と母親が友達で話していたのですが、
その時、僕の所属している電動車椅子サッカーのチーム”SONIC”の本
『イエローカードはぼくらの旗印』の話が出て先生が買ってくれることになり1冊買ってもらいました。
なんていい先生なんだろうと心の中で思いました。

そして校舎から昨年の5年生の担任の先生が僕が来ることを聞いて会いに来てくれました。
ちょっとだけ話をして帰りました。

僕は今回、児童たちと一緒に卓球バレーをしたことが印象に残りました。
そういう機会がなかなかないので一緒にやれてよかったです。
またする時があれば自分用のラケットを持って行こうと思います。