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3日目
昨日の疲れもなく、気持ち良く目が覚めました。
8時半にロビーに集合なので、準備をして、部屋を出ました。
この日は雲っていて、『雨が降らなければいいなぁ~』と僕は思いました。
港につくと、いつもの準備をしました。船に乗り込んで、昨日と同じポイントまで行きました。
この日の船は昨日の船より小さかったので、よく揺れて、移動の途中にこけそうになりました。
船は大きい船の方が安定感があっていいなぁーと思いました。
ポイントに到着すると、昨日は気づかなかったのですが、そこからビーチが見えました。
一面真っ白な砂浜で、行きたいなと思うほど綺麗でした。僕は、チームの中で最後の方に潜水しました。
海中では、チームの人達が待っていてくれて、みんなで30分ほど水中散歩をしました。
昨日と違った海の世界が広がっていて、昨日見れなかった魚達が見れました。
魚達が近くに寄ってきて、僕の目の前を通っていきます。
さわろうと腕を伸ばしたら、とても早いスピードで逃げて行きます。
そして、チームリーダーが魚と一緒に写真を撮ってくれました。
海から上がり、喉が渇いてたので水分を摂りました。学生さんが飲ませてくれました。
3日目になると飲ませ方もかなり上達しています。
20分程休暇して2回目の潜水をしました。
今日は最終日だったのですが、耳抜きもスッとでき、何のトラブルもなく楽しくダイビングできました。
チームリーダーが学生さん達に、『ダイビングをやってみたいですか?』と聞いていました。
なぜかと言うと、その学生さん達はボランティアで、介助をする為に参加しているからです。
チームの中に3名いて、順番にダイビングをしていました。
僕は、休憩しながら見ていました。上がってきたら楽しそうに話していました。
3人が潜り終わってからみんなでお昼ご飯を食べた後、港に戻りました。
今回は2日間とも同じポイントだったので違った場所にも行きたかったなぁーと思いました。
港に着くと、2日目と同じ様にパイナップルが用意されていたので美味しく頂きました。
ホテルまでの送迎車の中で、もっとダイビングしたかったなぁーと淋しくなりました。
沖縄に住みたいなと思いましたがそんな訳にもいかないですよね…(笑)
そして、ホテルの部屋に着き、シャワーを浴びて1時間程横になっていました。
5時に昨日と同じロビーに集合だったので、ロビーに行きログブックを付けました。
今年の交流会パーティーは、毎回行っている宿泊先とは違う別のホテルでは無く
なぜか今回宿泊しているホテルでありました。
会場は地下にあって、下りるのに時間がかかりました。
なぜなら、エレベーターは2台しか無く、手動車イスは2台、電動車イスは1台しか乗れないからです。
ざっと見積もっても車イスの方は20人くらいはいたので、だからかなり時間がかかったのです。
交流パーティーが始まる前に、全員で集合写真を撮りましたが、下りてくるのに時間がかかっている為に、全員揃うのに大変時間がかかりました。
やっとパーティーが始まりました。 初めに会長がお話をされました。
続いて、30分ほど、何人かの方がお話をされました。その間お腹が鳴って大変でした。(笑)
そして、やっと乾杯の声がかかり、料理を食べる事ができました。
料理は前回までと同じバイキング形式でした。沢山の料理が並んでいましたが、焼きそばから食べました。
僕の親とボランティアの学生さん達と楽しく食事をしました。
舞台ではフラダンスのショーと沖縄太鼓のショーがあり食べながら見ました。
沖縄太鼓は音が身体に響く感じで迫力がありました。
ショーが終わってから『第13回バリアフリーダイビング全国大会グッドチャレンジャー賞』 の発表があり、なんと!僕の家族が選ばれました!!
しかし、どうして僕の家族なんだろう…とビックリしました。そして
トロフィーと記念品を頂きました。嬉しかったです。
そのトロフィーは受付に飾ってあったのと同じでした。
それを見た時に、誰が、そのトロフィーを受け取るのかなぁと思っていましたが、まさか僕が貰えるなんて夢にも思いませんでした。
その日で、チームのみんなともお別れなので少し淋しくなりました。
そして、無事にパーティーも終わり、みんなにお別れをして部屋に戻りました。
次の日、家族3人で国際通りに行きました。
お土産を買って、飛行機の時間まで色んな店を見て回りました。
キーホルダーとかお菓子などを購入しました。
そして、ユイレールに乗って那覇空港まで行き、無事に京都に帰ってきました。
今回のバリアフリーダイビングは2日目に顎から水が入るというハプニングがありましたが、それも乗り越え、見事にトロフィーまで獲得しました。
大変楽しい時間を過ごしました!今年で10回目の沖縄ダイビングであり、恒例化しているこの行事をまた来年も楽しみにしたいと思います。
前回の続きです。
2日目の朝、5時半に起き、朝食を取りました。
僕は、普段朝食は取らないほうですが、ダイビングは体力を使うので、ちょっとでも食べないといけないと思ったからです。
朝食は、バイキング形式で美味しそうなものがいっぱい並んでいました。
僕は卵焼きとご飯、サラダを少しだけ頂きました。
その後、メディカルチェックを受けました。
その日の体調、血圧などをドクターにチェックしてもらいます。何も問題が無く『OK』をもらいました。
8時15分にホテルの入口に集合なので、水着に着替えて、協会が用意してくれている手動の車イスに乗り換えます。
なぜ、乗り換えるかと言うと、船に乗る時に車イスごと担いで乗せてもらうのですが、電動だと手動に比べてかなり重くなるのと、電動は濡れるといけないからです。
チームごとに人数確認をした後、送迎車に乗って港まで行きました。
そこでレンタルのウエットスーツに着替えるのですが、着替えるのがとても大変で、前回の時に
『僕に合ったスーツを作った方がいいですよ~』と言われたのですが、まだ作ってませんでした。
水を入れると着やすいのですが、水がそこには無いので、仕方なく、ナイロンの袋(着やすくする為)を使って着せてもらいました。
そして、喉が渇いたのでお茶をガブガブ飲みました。
飲んだ後に、チームごとで船の傍で記念撮影をしました。
それから、かなり大きな船に2チームが乗りました。顔馴染みの船長さんなので、『今年もよろしくお願いします』と僕は言いました。
そして、20分程かけて沖縄チービシナガンタ北と言うポイントに到着しました。
ポイントに到着するまでの間、風が強くて、波が高く、横揺れが酷かったです。
しかも、さっきまで天気がよかったのに、急に小雨が降り出して『向こうに着いたら止んでくれ』と僕は思いました。
願いが通じたのかポイントに到着する頃には雨が上がっていました。
いよいよ、海に潜れる時がやって来ました!!
2人ずつ潜っていくので、僕の順番が来るのを待っていました。そして、ついに僕の番が来ました。
まわりのスタッフさんが僕の背中に機材を背負わせてくれました。
僕は、フルフェイスマスクをして、スタッフさんに海へ下ろしてもらいました。
どうもマスクが上手くハマッてないみたいだなぁーと思っていました。
アゴから海水が入ってきて、『助けて!』と言ったけどなかなか気付いてもらえなかったので、手足をバタバタと動かしました。
そしたらやっと気付いてくれて船に上げてもらえました。危ないところで助けてもらえましたが海水を少し飲んでしまいました。
マスクの付け方に問題(アゴからつけないといけない)があったみたいで、もう一度付けなおしてもらい海に下ろしてもらいました。
2回目は上手くいきましたが、かなり怖い思いをしたので、これからは、こんな事が無い様に気を付けて欲しいと思いました。
まず、ロープを掴んで、ゆっくり潜行して行きます。バディーさんが鼻をつまんでくれて耳抜きをします。
(自分では鼻をつまめないので)
30分間ほど潜るのですが、最大で10メートル、平均で8メートルぐらいの所を散歩していました。
綺麗な魚達やサンゴに会えました。1本目を潜った後、20分間休憩を取りました。
お腹が空いてきたので、お昼ご飯を先に食べようか、どうしようか迷いましたが、2本目を潜り終わってから食べる事にしました。
2本目は何のトラブルもなく潜る事ができました。
2本目も30分間ほど海中を散歩し、船に戻ってお昼ご飯を食べ、港に戻りました。
港では、パイナップルが用意されていました。食べてみるととても甘くて美味しかったです。
ウエットスーツを脱いだら、ちょうどリフト付きの送迎車が来たので、ホテルに向かいました。
ホテルに着いてシャワーを浴び、疲れていたので1時間位ベットに横になりました。夕方の5時くらいに目が覚めました。
5時半にロビーに集合なので、用意をしてロビーに向かいました。
チームごとに集まって、ログブックを付けました。
ログブックとは、水深、温度、タンクの圧力、潜水時間、ダイビングの感想などを記入するノートの事をいいます。
この水深、温度、タンクの圧力などを計る機械をダイビングコンピュータと言います。
そして、2日目の夜ご飯は、恒例になりつつある焼肉屋へ行きました。
夜ご飯のお店はチームごとに決めて、好きな所へ食べに行くのですが、僕のチームは、なぜか毎年、焼き肉です(笑)
去年、かわいい店員さんがいたので少し楽しみにして行きましたが、残念ながら今年はいませんでした。
隣に座った学生さんに食事介助をしてもらい、お肉もビールも美味しく頂き、お腹いっぱいになりました。
帰りは、送迎車には乗らず国際通りを両親と共に歩いて帰りました。
そして、ホテルの部屋へ戻り、その日はスッと眠りに落ちました。
3日目へ つづく…
2010年6月24日(木)~27日(日)
第13回バリアフリーダイビング全国大会があり、沖縄に行って来ました。
今年は、両親共に僕に付いて行くというので、3人で行くことになりました。
毎年、伊丹空港から出発するのですが、今年は飛行機の時間が早く、朝、電車で行くと時間がかかるので、父親の車で行く事にしました。
ちなみに車で行こう!と言うのは僕の提案です。
なぜなら、飛行機の待ち合わせの時間が7時半なので、電車だと始発に乗らないと間に合わないと思ったからです。
車に乗って1時間ほどで、無事、伊丹空港に到着しました。
少し早く着いたので自宅からおにぎりを持って来ていたので食べました。
そして、集合時間になったので、そこまで行きました。いつもなら毎回同じスタッフさんが集合場所で待っていてくれるのですが、今回は、欠席されているのでみんな不安な様子でした。
代わりのスタッフさんも来られないので、僕の親が人数を確認したり、チケットを配ったりしていました。
しばらくしても、まだ集まらないままどうしようかと考えていました。
そして、僕の電動車イスは貨物置き場まで運ばないといけないので、鞄と一緒に預けました。
本来は、乗るギリギリまで自分の車イスに乗りたかったのですが、JAL航空のスタッフさんに、
『車イスの方がたくさんおられるので、そこで降りて下さい』と言われたので仕方なくむこうの車イスに乗りかえ、(用意された手動の車イスは小さすぎて腰が痛い)もう時間があまりなかったので搭乗口に向かいました。行く途中で、他の参加者が違うところで待っていたらしく、『ここじゃなくて向こうですよ。』と伝えました。
とりあえず、みんなが揃ったので僕はホッとしました。
今回、まとめ役の方がお休みされていたので、私の両親がチケットの配りなどをしなくてはならなくて大変でした。
誰か代わりの方がいたらこんなことにはならなかったと思います。
次回からは、ちゃんとまとめられる方を同行させて欲しいと思いました。
飛行機の中は快適に過ごせました。いつもは真ん中の席でしたが、今回は窓側の席が取れたらしく、外の景色が見れるので良かったです。
那覇空港が近づくにつれて島々が見えて『あれは、どこの島だろう』とか思いながらわくわくしてきました。
そんな事を考えているうちに那覇空港に到着しました。
那覇は梅雨明けしているにもかかわらず、雨が降っていました。
空港ではスタッフさんが出迎えてくださり、何便もの飛行機が到着し、その仲間達と一緒にリフトバスに乗りホテルへ向かいました。
ホテルに着いたとたん、ゲリラ豪雨に襲われましたが、一瞬で止み、また濡れない様に、傘で四方を囲んでもらったので、濡れずにホテルに入ることが出来ました。
もう少し後で、到着していれば雨に当たることがなかったのにと思いました。
そして、毎年変わるホテルですが、今年は『ホテルロイヤルオリオン』という所でした。
沖縄のメインストリートである国際通りに面しています。
まず、受付をしたあとで、家族で昼食を取りました。外で食べたかったのですが、今にも怪しい空だったのでホテルの中で食べました。
今日は、朝が早かったので16時の参加者説明会まで休むことにしました。
説明会ではチームごとに分かれて説明を聞きました。
その後、オリエンテーションを含めたディナーの中で、自己紹介をしました。
その中に、龍谷大学の方が3名おられて、親近感が湧き、大会中は楽しく過ごせるかなと思いました。
ディナーでのビールは最高でした。
ただ明日のダイビングに備えて、量を控え目に、部屋で休むことにしました。
つづく…
6月6日(日)
その日は、ハロウィックの日でした。そして、以前お知らせしていたテレビ放送の日でもありました。
放送がお昼頃だったのですが、見ることができず、録画の予約をして家を出ました。
泳いでいる時に頭の中で『うまく撮れているかな』と放送の事が気になりました。
その日、新人のスタッフさんが来られてて、僕についてもらいました。
普段からスタッフさんが少なく、若い男の方だったので、これからも来て欲しいと思いました。
無事水泳が終わり、帰りしなに、なか卯でお昼ご飯を食べて帰りました。
自宅に帰り、早速録画してた番組を見ました。練習姿とかインタビューの様子が映っていました。
紅白戦で、僕はゴールキーパーでしたが、シュートを入れられてしまった場面がうつってたので
少し恥ずかしいなぁと思いました。
そして、カットされているかもと思っていたインタビューの場面でとても緊張しているような顔をしていました。
後で振り返るとかなりのドキドキ感でした。
いつもの自分じゃない様な顔をしていたので、もっと笑顔だったら良かったなと思いました。
短い10分程度の放送でしたが、皆さんにソニックの魅力が伝わればいいなと思いました。
6月5日(土)
高野障害者スポーツセンターで電動車イスサッカーの練習がありました。
とっても良い天気で、夏が来た様な暖かさでした。
どんな服装で行ったらいいか考えた結果、日焼けをしたら痛いので、薄い上着を羽織って行きました。
その日ヘルパーさんと、木幡駅で待ち合わせをしていましたが、僕が時間を間違ってお願いしたみたいで
待ち合わせの時間になってもヘルパーさんは来ませんでした。
連絡しようと思ったけれど、一人ではできません。
なぜなら、まず携帯電話を操作する難しさと、言語障害を持っている為です。
諦めて、スポーツセンターに行ったら連絡できると思い
ひとりで電車を乗り継いでスポーツセンターまで行きました。
無事にスポーツセンターに着き、サッカーのメンバーの親御さんに頼んで事業所に連絡してもらいました。
電話をすると、頼んでいたヘルパーさんは、僕が行ってしまった後で、木幡駅に来て待っていたらしいです。
もう今日は必要ないと判断したのでキャンセルして下さいと伝えました。
今回は、僕のミスで待っていたヘルパーさんの方に悪いことをしたなと思いました。
サッカーの練習が始まるので、僕の車イスにフットガードを付けるのを、メンバーの親御さんに手伝ってもらいました。
その日の練習は、大阪ローリングタートルの3人のメンバーと金沢ベストブラザーズの2人のメンバーを交えての合同練習でした。
まずは、ソニック対大阪・金沢の合同チームの対戦です。前半、後半20分フルタイムの試合になります。
僕は、前半戦ゴールキーパーを務めました。久々に試合に出るので緊張しました。
始めの10分間くらいは、まだ試合の感覚を取り戻すのに時間がかかりましたが、徐々に感覚を取り戻していきました。
相手にうまいフォワードがいて、どこにシュートを打ってくるか分からないので、一番守れる位置にいました。
しかし、相手のチームは、パスを回しながら色々なところへシュートしてきて、僕はかなり振り回されました。
ギリギリなところで止められて僕はホッとしました。
その日、ソニックの有力選手の車イスが修理に出ていて、違う車イスに乗っていた為に力を出しきれていませんでした。
0-0でハーフタイムになりました。
休憩の時にコーチから守り方のアドバイスを受けました。
キーパーはディフェンダーと同じ動きをしないようにと言われました。
それは、動きが重なるとシュートコースを作ってしまうことになるからです。
いつも、同じ事を言われている僕は、進歩がないなぁーと反省しました。
後半はベンチから試合の流れを見ていました。
全然こちらのペースにはならず、押されたまま2点入れられてしまいました。
ベンチにいて、キーパーを見ていると、もう一人のゴールキーパーが僕と同じ動きをしているのがよくわかります。
それでは失点を防ぐことはできないと思いました。
なので、練習の時からディフェンダーと同じ動きにならないよう注意していきたいです。
その試合結果は、2-0で負けてしまいました。
もしかしたら、その車イスを修理に出していた選手がちゃんと自分の車イスだったら...と思うと、少し悔しい気持ちになりました。
でもそれは、言い訳にしかなりません。
次の試合は、年齢で分けたチームでの対戦になりました。
僕の出番はなかなかありません。やっと交代になったと思ったら点が入ってしまいました。
ボールをずっと見てしまう悪いクセが出てしまいました。
『あかん!!』と言われているのに、ついついボールを目で追ってしまいます。
結局、僕たちのチームはまたまた負けてしまいました。
大阪ローリングタートルと金沢ベストブラザーズの皆さん
この日はわざわざ遠い所からお越し頂き、ありがとうございました。
ソニックのメンバーも良い練習になったと言っていました。
また、練習に参加してください。よろしくお願いいたします!!