2/15 オープン
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事
カウンター
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
5月の終わりに突然、お腹に痛みが走りました。
朝、起きたら今まで経験のしたことがない痛さを感じ、最初は大便かなと思うが
気配がなくて起き上がろうと思ったが起き上がれなくて布団の中でおさまるのを
待っていました。
少しおさまって作業所に行く準備をしている途中で、又、激痛に襲われました。
その痛みが何の痛さかわからず不安になりました。
病院に行くため電動車椅子に乗ろうとするが乗ることも出来ず、ヘルパーさんに
救急車を呼んでもらい5分程で来ました。
僕が言語障害があるのでなかなか自分の意志が伝わらなくてヘルパーさんに
伝えてもらいました。
救急隊員に食事のことを聞かれて特に悪い物を食べた覚えもなくて原因がわからず
早く病院に行って心の中で叫びました。
病院に着いたら大量の血を抜かれてボーッとしてしまいました。
その次にお腹のエコーを見たけど何も写りませんでした。
医者にどの辺りが痛いか言いました。
それから何の検査をしてくれるかわからず1時間待たされました。
その間、ボーッとして眠さにおそわれました。
しばらくしてからCT検査を受けました。
僕は初めてやるので緊張して、息を止めるのを忘れてしまいました。
あっという間に済み、救急の部屋に戻りました。
CT検査の前に廊下に出たら、父親が心配して来てくれていました。
後からわかったのですが、1時間待たされている間に父親に次のCT検査をすると
説明があったそうで、なぜ僕に行ってくれなかったのかと一人で怒りました。
その後10分したら検査結果がわかり父親が病室に入り一緒に聞きました。
病名は尿道結石でエコーではわからずCTで見つかったそうです。
どんな大きさの石があるのかと聞こうと思ったけど脱力感と病名がわかって
安心して聞けませんでした。
痛み止め薬をもらい自動車で自宅に車椅子を取りに行き実家へ行きました。
行く時気分が悪くて気絶しそうな雰囲気になっていました。
昼ご飯を食べるとだんだん気持ち悪さがとれていきました。
医者に水分を多めに摂るよう言われたので、母親がスイカを買ってきてくれて
食べました。
1ヶ月間は痛みの波がありました。
すぐに泌尿器科に行くように言われたけど、ずっと病院に行かずにいました。
6月の近畿大会の日には、その痛みはピークでした。
とりあえず会場に行ったのですがとても試合に出れなくてロビーの椅子に
横になって痛みとたたかっていました。
そのことを監督に伝えると、帰ってもいいよと言われましたが、
とても運転出来る状態ではありませんでした。
僕の気持ちは、せっかく行ったのにこんな形でメンバーに迷惑をかけるのは
悔しかったのですが、尿道結石の痛みに耐えることができず、その日は
帰りました。
次の日も大阪で全国に行けるのかの大事な試合がありました。
しかし痛みがひかず、行くギリギリまで粘りましたが、ヘルパーさんと
相談した結果、その日も行かないことにしました。
僕は家で勝つように、心で祈っていました。
すると夕方全国大会に出場することに決まったとメーリングリストで知りました。
次の日に泌尿器科に通院して診てもらいました。
レントゲンを見たら前よりもだいぶ下に下りてきたと言われました。
少し安心しました。
あと数日で勝手に出るかなぁーと思ったけど沖縄まで石を持って行きました。
旅行に行った3日後にやっと小さいつぶが出ました。
そんなこんなで、2ヶ月間の痛みから開放されてホッとしました。
僕はいつも環境が変化すると体調が悪くなるのでやめて欲しいです。