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バリアフリー全国大会の当日を迎えました。
やっとその日が来たと思ったらなんだかわくわくした気分に
なりました。なぜそう思ったかというと、当日までの間、
あまりお手伝いできることがなく見ていることが多かったので
当日が待ち遠しかったからです。
10時頃、ようこさんがリフトカーで来てくれて、重たい荷物を乗せて
大会会場のパシフィックホテル沖縄まで連れて行ってくれました。
東横インから10分程度走って着いたら、そこは以前の同じ大会で
使用した場所でした。
フロントの近くに大会受付場所の設定がしてあり、そこに行って
とりあえず荷物を置いてから、これからの流れを聞きました。
ゲスト、ボランティアのプレゼントの名前をチェックしたり
お客様対応の仕方の説明を聞きました。
他のスタッフは那覇空港にゲスト、ボランティアが来るので迎えに
出ていき、僕は両親の仕事ぶりを見てました。
昼過ぎに徐々にゲスト、ボランティアさんがホテルに到着しました。
フェイスブックに当日までの手伝っている様子が載っていて
それに僕が出ていたみたいで来られた色んな方に、「写真見たで!」と
「あごひげ伸ばしてるのね。」と声をかけてもらい、「ひげを今年から
伸ばし始めました。」と言うと、「よく似合いますね。」と言われました。
しばらくしたら大会で僕がお世話になるボランティアの林くんが到着しました。
今回、林くんも僕を支援するのは初めてで、僕もしてもらうのは初めて
なので、お互いに緊張していました。何回か他の方についていたのを知って
いてとてもいい方で、いずれ僕のところにも入ってくれないかなと思って
いたところでした。
今までは大会中ずっと父親が色々支援をしてくれていましたが、今回
林くんが入ってくれたので嬉しかったです。
その後、部屋の鍵をもらって休もうと思いましたが、部屋の関係上色々
あって部屋を変わることになりました。
朝から電動車イスに乗りっぱなしで疲れたので、2時間ほどベッドで休んだ
あと、16時からゲスト説明会の会場に向かいました。
てっきりホテル内だと思っていたのに、昔、サンゴフォーラムがあった所
だったのでびっくりしました。
そこでは明日からのスケジュール確認や韓国人の紹介などがありました。
30分程度の説明会でわざわざホテルの外でやるのはなぜ?と思いましたが
会場が取れなかったのかなと感じました。
それからホテルに戻り、ホテル内のパーティー会場に向かいました。
全部で6チームに分かれており、各テーブルにチーム名が書いてあったので
僕のチームであるBチームの席に着きました。
Bチームは2つの丸いテーブルが設定してありどっちのテーブルに行こうか
迷いましたが、とりあえず空いてる場所に行きました。
開会式の前に各チーム内でミーティングをどっちのテーブルでしますか?
とチームリーダーから聞かれて、Bチームは9人のメンバーで、座っている
人数の多い方に行きますと答えました。
僕が移動してミーティングが終わったら元の場所に戻り、しばらくしたら
開会式が始まりました。
その30分後、WELCOMEディナーがあり、とても楽しみにしていました。
会場の両端に料理がならんでいて、それをボランティアさんが一斉に取りに
行きました。食べきれないやろうな~と思うぐらいの量が次々とテーブルに
運ばれてきました。
どれくらい食べたらいいか分からないぐらい料理があり、適当に食べさせて
と林くんに言いました。
僕の食事介助をしてくれるのは初めてなので、一口の量は多めがいいという
ことと、硬いものは左奥に入れてほしいを説明しました。
最初はあたふたしていましたが、徐々に慣れていきました。
お酒もたくさん飲んでいたら、急にAさんがテーブルに遊びに来たので
ちょっとしゃべった後で渡したいものがあると伝えました。
「何やろ?」と言われ、「かばんの中に入っているので開けて!」と言いました。
作業所でつくったイニシャル入りのガラス工芸のペンダントをプレゼントしました。
「上手に出来てますね。」と言ってもらい、ありがとうと喜んでもらえました。
しばらく一緒にお酒を飲んだ後、もうそろそろパーティーも終わりそうな
雰囲気になり、それぞれの席に戻りました。チームリーダーからの明日の
集合時間を聞いてから部屋に戻り、明日早く起きないといけないので寝ました。
~4日目につづく~
3日間は、朝の目覚めが悪っくてなかなか起きられませんでした。
「朝御飯は、どうする?」って親に聞かれ「寝とくわ」と言って
親だけ食べに行きました。
その後、9時に起きて出掛ける用意をして、10時に昨日車で行った道を
を思い出しながら歩いてショップに行きました。
ショップに行く道は、電動車椅子では行きにくい歩道で、車道を走る事
にしました。歩道の真ん中に電信棒があったり、木の根が盛り上がって
いたり、段差が多かったり、地元に比べてきつかったです。
全然バリアフリーではありませんでした。
5分くらいでショップに着きました。
昨日のように階段をみんなで僕を担いで上げてくれました。
部屋に入ると関東のスタッフが来ていました。その方に挨拶をした時に
丁度朝御飯が終わる所だったのですが、美味しそうなパンだったので
僕も食べたいなと心で思いました。すると、エイコさんが
「パン余ってるから食べるか?」と聞いてくださり、ホテルで何も
食べていなくて、お腹が空いていたので声を掛けてもらってとても
嬉しかったです。
食パンとサラダをお腹いっぱいになるまで食べました。
それから、昨日からの手伝いの続きで両親がハンガー作りのお手伝いを
するのを見ていました。
自分も何か役に立てることが出来ないかと考えましたがありませんでした
ので、もし来年手伝えたらいいなと心の中でそう思いました。
その後、エイコさんが買ってきたざる蕎麦の麺をそこにいたスタッフ
何人かで作り、麺ができたら順番に食べ出しました。
ざる蕎麦と巻き寿司を食べた後で3時間程布団で横になりました。
休憩をしている間も手伝っている親の声を聞いて頑張っているなぁ~と
思いました。
今の仕事が意外と早く終わり「他の仕事はもう無いですか?」と聞いて
みましたが「もう手伝ってもらうことはないです。」と言われました。
何もすることがなかったから、ショップにいても仕方ないので
僕を起こしてもらいホテルに戻る途中にスーパーと酒屋に寄って
戻りました。
18時頃、夜御飯をどこに行こうか両親が話し合っているところを聞いて
いました。母親はしんどいから行きたくないと言っており
父親は外食したいと言って、意見が食い違がっていました。
母は、「毎日外食をしなければならないのは6日間もあるのでしんどい
から今日は行きたくない」と伝えていました。父親は「どうするねん!」
と言い、「コンビニに買いに行って食べるわ」と母は言いました。
僕は、どうするべきかいろいろ考えた結果、母とホテルに居ることに
なりました。
父親は先生と外食に行きました。
「しばらく休憩をした後で買ってくるし、待っていてね。」と母は言い
しばらく横になりました。
それからコンビニに行って菓子パンやカップ麺を買ってきてくれ
ベッドの上で食べました。
そういう日もあってもいいのかなと思いました。
~4日目につづく~
二日目の予定は前日にショップの方から当日の朝に連絡すると言われ
待っていると10時半頃に迎えに行きますと連絡が来ました。
そのショップはホテルから近い距離にあるのにと考えたけど
2年前に引越しされたそうで、まだ行ったことのないため迎えに
来てもらうことになりました。
その時間になり外に出て待っていると10分遅れでようやく来て
くれました。
スタッフのヨーコさんから「ようこそ!大会のお手伝いに来て
くれてありがとう」と言われました。
リフトカーでダイビングショップに行きました。
現在のダイニングショップは前の場所からそんなに変わらない距離に
あり明日からはホテルから歩いて行けると両親と喋りました。
そこはアパートの2階にオーナーの自宅兼事務所があり狭い階段
しかなくてどうしようと思っていると父親とスタッフのマイちゃんで
僕をかついでくれることになりました。
電動は下に置いたままにし、部屋は手動車いすが置いてあって
それを使いました。
前のとこは1階にあったので電動車椅子のまま行けたのに
現在のショップは2階になったのかと不便に思いました。
部屋で少し休憩しようかと考えましたが、突然オーナーの息子
ユキムラさんからドキッとすることを言われてビックリしました。
それは、フリーインストラクターのAさんに僕が事前にメールで
大会より先に沖縄に行くことを伝え、食事に誘っていたことを
言われたからです。
「あーしまった!」と思いましたが、「ユキムラさんの連絡先を知らなかった
ので...」とごまかしました。
結局忙しくて無理でした。
でも大会で会えるからいいか♡と思いました。
そんな話をみんなの前でされ、恥ずかしかったです。
そのあとヨーコさんからこれからの仕事の説明を受けました。
僕は両親の仕事風景を監督していました。
その内容は…
・那覇空港で渡す「ウェルカムプレゼント」作り。
パソコンでかわいいシールを作り小袋に貼って黒糖を入れラッピングする。
・プレゼント(Tシャツ、バスタオル、冊紙等)の袋詰め。
・プレゼント追加分のシール、名札作り。
・大会中のイベントや移動の名簿チェック。
(ゲスト、ボランティア、スタッフ)
・台湾からのお客さんのプレゼント作り。
・ハンガー作り(大会中のウェットスーツを干す。)
・船や港に置く救急箱中身の点検、補充。
・ボンベからの酸素吸入の講習 等。
これらを2日間手伝いました。
ちょうど昼になり、えいこさんが色々な種類の弁当を買って来てくださり
事務所で食べました。
魚の入ったのを美味しくいただきました。
さて、昼から何をしようと思っているとちょうどユキムラさん・マイコさんが
港に行ってタンクの用意をすると話しているのが聞こえたので僕も行きたいと
言ったら「港は暑いし日陰もないため行かない方がいいよ」と言われました。
「その代わりに戻って来たらどっかに連れてってあげる」とユキムラさんが
言ってくれました。
朝からずっと乗りなれていない手押し車いすに乗っていたし、腰が痛くなった
ので親に横になりたいと伝えました。
すると「事務所に敷布団があるからそれを使ってはどうですか?」とエイコさん
が言ってくれました。
どうして布団が事務所に置いてあるんやろーと疑問に思い、聞いてみると
大会の時に10人くらいここでインストラクターが泊まるからだそうです。
4時間くらい腰を休め横になりました。その間も両親は手伝っていたようです。
ようやくユキムラさんが戻ってきて少しドライブをしてから沖縄アウトレット
モールあしびなーに連れていってもらえることになりました。
どこのお店に行くあてもなくブラブラし、気になったお店があったら入ったり
出たりして、そんな中あるお店の入り店内を見ていたらユキムラさんに
「帽子があるからかぶってみませんか?」と言われかぶってみました。
僕はキャップしか持って来てなくて、「それはつばが広く日除けになる
からいいよ」と言われどうしようかなと考えいい色があったから買うことに
しました。
1時間ぐらいたったとこで母親が早く帰りたそうにしていたのでホテルに戻る
事になりました。元々そういうお店が母は好きではないので。
少しだけベッドで休憩した後で夜ご飯を食べに出かけました。
どこに行こうかとホテルの周りに探しに行きました。
1軒の餃子屋さん美味しそうな感じでしたが、そこに階段があり
電動車椅子では入れないので、仕方なく次のお店に行きました。
居酒屋だったら店内に入れると思い、探していたら3分程の所にありました。
そこは、昨日のお店とは違う雰囲気で良かったけど量と味の割に高かったです。
しかも広いトイレがなかったです。ただ、BGMが僕の好きな曲調で良かったです。
~3日目につづく~
6月25日に開催される第18回バリアフリーダイビング全国大会のお手伝い
をするため、前のりをして22日から30日にかけて、沖縄に行ってきました。
どうして前のりしたかと言いますと、今年両親ともに完全退職し、少しでも
大会のお手伝いをしたいとの思いがあるらしく、日本バリアフリーダイビング
協会に問い合わせると、是非お願いしますとの返事だったからです。
僕自身は、早く行っても何をするか分からず、本当のところは25日から一人
で行きたかったけれど、色々考えた結果、一緒に行くことにしました。
22日、伊丹空港までの行程で、父親と意見が違いました。
僕は自動車で空港に行きたいと父に言ったのですが、今回は日にちが長いから
1週間も駐車場に停めたら、障害者割引にしても料金が高いし無理と言われました。
僕が出すと言っても聞き入れず、MKタクシーは?と提案したら、乗り合い
タクシーはリフトカーが無いために難しいと言われ、納得しました。
仕方なく父親の言うとおり、京阪と大阪モノレールで行くことにしました。
京阪中書島駅から門真駅まで、各停しか止まらず時間がかかるので自動車の
ほうが良かったのになぁと思いました。
そのコースは昔に行って遠かった思い出があって、今回もかと心の中で思いました。
伊丹空港に着いて手続きをしていたら、大会に行く方が来ました。
その方は僕の保育園時代の先生で、2年前にも一緒に行きました。
今回、JALでしたので電動車イスの手続きが楽に済み、ANAと比べて時間が
かからなくて良かったです。
搭乗まで1時間もあり、喫茶店に行きました。
美味しいパンケーキを食べてから、電動車イスを預け、1階の所で空港の指定
した手動車イスに乗り換えて、搭乗乗り場へ向かいました。
14時過ぎに乗って、16時45分ごろ無事、那覇空港へ到着しました。
いつもでしたら、ダイビングショップの方が空港に迎えに来てたけど
今回は大会前でリフトカーの車の手配が難しいとショップの方から連絡が
あったので、仕方なくゆいレールに乗ってホテルまで行きました。
車内で、母親の携帯にショップの方から電話がかかってきて、「今どこに
いますか?空港に迎えに来たのですが。」と言われたので「えー?マジでか?」
と思いました。
「ゆいレールに乗ったとこです、すみません」と母親が答えました。
父親が空港で外を見ていたら、それらしい車があって「まさか迎えに来て
くれていたとは」と言っていました。
もうちょっと早く言って欲しかったと、心の中で思いました。
そうこうしているうちに、旭橋駅に着きそこから徒歩5分くらいで東横イン
那覇旭橋駅前に到着しました。
チェックインをしてから、晩ご飯をどこに食べに行こうかと話しました。
大会の時はいつもホテル内で、沖縄料理を食べていないねということで
ホテルの前にあったやんばるの家庭料理の「ばぁばの台所」という店に
車イスで入れるか、父が見に行ってくれました。
そこは店が2階にあり、行けませんでした。
仕方がないので近くを歩いていたら、「ちゅらさん亭」という居酒屋を
見つけ、そこに入ることにしました。
店内はとても良く、電動車イスでも入れる広さでした。
おすすめの料理を聞いて、色々頼みました。
店員さんにこの料理はなんですか?と聞くと、珍しい名前の魚でとても
美味しかったです。
お酒も入って、急にトイレに行きたくなり店員さんに広いトイレはありますか?
と聞いてみると、ありますとのことでこんな居酒屋に広いトイレがあるなんて
珍しいなぁと思いました。
2時間ぐらい飲んだり店の方と親との会話を聞いたりして、楽しい時間を
過ごしました。
今度またこの店に来ようと思いながら、ホテルに戻りました。
二日目に続く…
4月と5月と色んなアーティストのライブに行きました。
まず、浜崎あゆみ、埼玉、大阪2days、神戸の3箇所と倖田來未と
西野カナ、木村カエラです。
チケットぴあのメルマガでお気に入りのアーティストを登録していて
その中から近畿公演に申し込みます。
今回のこの4人のライブに行きたいと思い当選するか、外れるか
別としてとりあえず申し込みました。
そしたら全てのアーティストのチケットが当選しました。
他に申し込んでいたアーティストのライブは外したけどほぼ当選
したことにびっくりしました。
埼玉は近畿圏ではないのに、何故行ったかというと、あゆファンだから
ツアーの初日が見たかったからです。
あゆの埼玉公演のことは書きましたので、ここでは神戸ワールド記念
ホールのことを書きます。
開演のギリギリにホールに入りました。
もうすでに車椅子のお客さんがいたのでステージの端しかスペースが
なかったから、仕方なくそこで見ることにしました。
ただ斜めにかなり大きいライトがありステージの花道が見えにくかった
から身体を乗り出して見るしかありませんでした。
あゆの今回のツアーは四回目で内容は知っていたので見えなくても
歌声とMCが聞けたらいいかと思い満足でした。
その次は倖田來未のライブのことを書きます。
その日は難波に買い物に行った後で大阪城ホールに行きました。
開演が19時だったので先にご飯を食べることにしましたが、
開演まで30分しか時間が無く、食べやすいオムライスを食べることに
しました。
熱かったけど、フワフワして美味しかったです。
ふと時計を見ると後10分しかなく飲みものを買ってホールに急いで
向いました。
いつもの車椅子のスペースに着いてすぐ始まりました。
くーちゃんのステージはオープンカーに乗ってくーちゃんが降りてくる
ところから始まります。
始めのうちは激しいダンスでお客さんを盛り上げていました。
一番すごいと思ったのはくーちゃんがピアノやドラムなど演奏した
ところです。
グランドピアノがステージ内の端から端までと花道まで移動する演出が
あり、あれはどうして動いているのだろうと心の中で思いました。
もう一つ驚いたのはアンコールの最後の演出でステージの中央に垂れ
下がった布につかまり、空中でダンスするエアリアルティシューをして
その後そのままステージの下に消えてしまい再びクルクル回りながら登場
した時は全身に濡れていて水しぶきが飛びとてもきれいでした。
終演後にスタッフに呼び止められ、倖田來未さんが車椅子の方にあいさつ
をしたいそうですと言われ、帰る時間が遅くなるのでどうしようかと考えた
けどスタッフについて行くことにしました。
30分間待っていたらようやく現れて一人ずつに話しかけてくれました。
僕はトーキングエイドで会話し握手しました。
目の前で見て顔が小さいなと心の中で思いました。
今回は何年か振りのライブで、ますます素晴らしくなっていると感じ
ました。是非又行きたいです。
次は西野カナの事を書きます。
会場は神戸ワールド記念ホールで2週続けて日曜日に行くことになり
ました。こんなことはめったにありませんが、たまたま、あゆとカナの
チケットが続けてとれました。
当日は早めに会場に着いてグッズ売り場を見たり、その辺をぶらぶら
したりして時間をつぶしました。
しばらくして車椅専用の入口に行ったら1,2名のお客さんがいました。
このホールは先に入った方が良く見えるから早めに行ったのに少し
がっかりしました。
前は段がなかったのに今回はあってびっくりしました。
車椅子が上がれるか心配になったけど、段が少しだったので上がれました。
ステージからベストポジションだったけど、後から車椅子の女性が
隣に来て座って見るものと誰もが思っていたのに開演した瞬間から
立ち上がりました。
見た目は身体障害者だったのに立つなんてびっくりして見にくくなる
やろうと感じました。
その通りになることになりモニターとステージが見えにくくなってしま
い、しかもノリノリの曲になると上半身を振って踊り、髪の毛が僕の顔
に当たってうっとおしかったです。
一言言おうと思ったけど、かなりの、カナファンだと思いやめておき
ました。
初めてのライブなのに精神的にしんどい思いを2時間し続けたけれど
ライブ自体はすごくよかったです。
今年中にまだまだライブに行って楽しみたいです。