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ドラゴン日記

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第11回バリアフリーダイビング中国大会2

2日目の天気もやはり雨でした。
8時半にロビーに集合してある場所まで行きました。

当日はボランティアさんが少ないために僕のヘルパーさんがかりだされる
ことになりました。
前日にスタッフさんに「どうしてもボランティアさんが足りないのでと」と頼まれました。
内心時間数のことが心配になっていたのですが、出発する前にヘルパー事務所
のスタッフさんから時間数のことは気にしないで行ってきて下さいと
言われていたこともあり、空気を読んで仕方なく引き受けました。

15分間車に揺られ行ったところはビーチと違い車椅子では入りにくい場所で
そこでダイビングするのかと少しビックリしました。
滝のような雨が降り暑い中着替えを済まして機材が準備出来るのを待ちました。
小雨になった瞬間外に集まり、その場で説明を聞き潜りに行きました。
車椅子で海の中まで行くと、凄い砂利と坂だったので4人が抱えて移動してくれました。
水面に行き車椅子のまま浸かり、上向きになってタンクを背負いそのままの
状態で待っていました。

雨が降り始めていましたが僕の場合フルフェイスマスクなので濡れませんでした。
チームが揃った時点で潜り始め、水温は最初震えるほど冷たかったけど
潜るとすぐ温かく感じるようになり、一日目と違う魚たちも観ることが出来た。
中でも小指サイズの魚がまとまって泳ぐ姿が綺麗でした。
しかし、たまにペットボトルのようなものが沈んでいて汚いと思いました。

そうこうしているうちに水面に浮上、水温が低く早く上がりたいのに
ボランティアさんが少ない為なかなか上がれず寒い中待っていました。
その後小雨程度の雨でしたがだんだんと本降りになり屋根のある場所に避難しました。

その間ヘルパーさんはスタッフにダイビングに誘われたのですが
最初は遠慮していたのですが強引な誘いにやる気になり、休憩時間に少し潜る
ことになりました。

僕たちはボランティアさんが持って来てくれた桃を丸かじり!
桃の果汁が顎につたっていたのですが、誰も拭いてくれる人がいなくて気持ち
悪かったけど、美味しくて2個も食べました。
暫くすると眠くなり、うとうとしている間に滝のような雨が降っていました。

20分後2本目が始まる頃には小雨になっていました。
また「あの石ころの道」を通って行くのかと思いましたが
いきなりヘルパーさんが抱っこで海辺まで連れて行ってくれたのですごく楽でした。

そして一本目と同じように用意して潜りました。
昼過ぎには上がり、近くにあったホースで体を流し、ウェットスーツは
水をかけたままの状態で脱ぎました。

スッキリした状態になって帰ろうとしたら、そこに食堂があり
そこのおばちゃんがイカ焼きをくれると言ったので暫く車の中で待つことに。
車からは焼いている姿が見えていたのですが、いくら待っても焼きあがる
様子がありません。

車から焼いている所が見えたのですが、そのうち美味しいそうなイカ焼きが
見えて来ました。僕の気持ちはすぐに宿に戻って昼ご飯を食べたかったのですが…。
10分後に出来上がり、車に乗っている人達で分け合いました。
新鮮ですぐに噛み切れる程やわらかかったです。

宿の別館に戻り水着のままお昼ご飯を食べました。食事をしている時に
閉会式をしました。
昼からオプション無しで帰る方がおられ、もう一泊する僕のような方も
いたりお互いあいさつをしました。

その後、早めにお風呂に入ったので、多のお客さんもいなく広々と
ゆったりつかることが出来ました。その後ヘルパーさんと宿の周りを探索し
昔の街並みの風景を見つけて写真を撮りました。
草むらには、かたつむりが5匹もいて小さい時に見た以来でした。

夕御飯まで少し時間があったのでウロウロして過ごし、
夕御飯の時間になると宿に泊まる人数で海の幸を食べに行きました。

部屋に戻った後知らない間に眠っていて気が付くと朝になっていました。
起きる気がなくてヘルパーさんだけが朝食に行きました。
僕はチェックアウトの30分前に起き急いで用意しました。

いい天気だったら外に行こうと思っていましたが3日間雨だったので
何をするでもなくロビーで昼ぐらいまでゆっくり過ごしました。

スタッフから昼ご飯後に新山口駅に送ると言われました。
今、持っているのは夕方のチケットなのでみどりの窓口で時間の変更を
しないといけないと思いました。

11時に数人で有名なうどん屋に連れて行ってもらいました。
そこで肉わかめうどんとおにぎりを食べました。朝ごはんを食べてないから
すごく美味しく感じました。そこでスタッフと別れて1時間かけて駅に
向いました。駅に着いた時は曇だったが着いてすぐに大雨が降り出しました。

まずみどりの窓口に行って時間変更できるか聞きました。
最初車椅子席を言ったらすぐにいっぱいでその次に多目的席を取れますかと
聞いたらしばらく待って奥の部屋に連絡しに行ってくれました。
すると「空いています。」と返事がきたのでその新幹線に乗りました。


今回は
3日間天気が悪くて予定が変わって残念でしたがみんなと会えて
良かったです。次回は台風が来ないことを願っています。

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第11回バリアフリーダイビング中国大会

82日から4日に山口県萩市に行ってきました。

行く前日に大会スタッフから連絡がありました。
台風が近づいているのでスケジュールの変更とボートのダイビングは
波があるため中止になるとのことでした。

大会は土日で行われているがオプションもすることになっていましたが
もし前の日に新幹線の予約変更出来るならして欲しいとスタッフに
言われました。
「マジですか!?」と思い色々と考えていたけど、せっかくの旅行だから
変更しませんでした。

当日745分にヘルパーさんと近鉄電車で向いました。
土曜日なので混んでいて無理やり乗り込みました。混んでいたので
高校生の男性が普通ならどいてくれるはずなのにどいてくれなくて窮屈でした。
その状態のまま10分乗り京都駅まで行きました。

8時半ののぞみ3号で新山口駅まで行きました。
去年と同様ゆったりとした個室の席でした。

2時間で着いたらいきなり雨が降ってきてがっくりしました。
改札までスタッフさんが僕達を迎えてくださいました。
もう何人かの参加者がすでに到着していました。

僕たちはコンビニでお昼ごはんを買いその後リフトカーに乗りました。
しかしその車には僕のヘルパーの乗る席がなかったからヘルパーさんは
手動の車椅子に座られました。萩市までは
1時間でした。

山の山間部に行くと滝のような大雨が降ってきました。
着く時には小雨になるといいのになぁと願いながら車に乗っていましたが
到着しても雨はやみませんでした。

ホテルロビーで受付した後メディカルチェックを受けました。
昼ご飯は
15分しか時間がありませんでした。何故かと言うと開会式の時間が
せまっているからです。それを見込んでサンドウィッチとプリンを
慌てて食べました。

その後、海の格好になって手動車椅子に乗り換えて開会式は別館であり
別館へ行くには外に出ないと行けないので雨の中急いで行きました。
会場に行ったら参加者が去年より少ないと感じました。
それは台風が原因ではないかと思いました。

開会式では今後のスケジュールとチーム発表が行なわれました。
2日間ともビーチからのダイビングになりました。
海は波があるから出られないとのことでがっかりでした。

その場所でウエットスーツを腰まで履きリフトカーに
5分で乗りました。
その道中も雨が降ったり止んだりだったので海は濁っていたけど
いざ入ったら去年より澄んでいてよく魚が見えて綺麗でした。

そのビーチは雨が降っていたせいで他のお客さんがいなくて寂しかったです。
上がってしばらく海を眺めていたら突然雨が降りだしたので急いで車に乗って
機材を片付けるまで待っていました。
僕はずっと車椅子に乗っているから体のあちらこちらが痛くて早く宿に
帰りたかったです。

結局
30分近く待ちその後宿に戻り、みんなで温泉に入りました。
海の塩気を取りたかったのに湯船に入ったらしょっぱかったです。
でもゆっくり入れて良かったです。

それから
1時間後にまた別館に行って恒例の写真撮影をしました。
今回は人数が少ないためにすんなり撮れました。
済んだ後
3階に行き、スケジュールの説明や確認をしている時に
目の前に既に料理が並んでいました。
しかしなかなか終わらなくて、ようやく
10分後、ご飯にありつけました。

前回はヘルパーさんが時間数の関係で一緒に行けなかったのですが
今回はずっと一緒にいられることになりました。
食事介助はやっぱりボランティアさんよりヘルパーさんの方が
良くわかっているので良かったです。

しばらくしてからゲーム大会が舞台上で行われようとしました。
各チームが全員一人ずつ箱の中に手を入れて何が入っているか当てるゲームです。
ついに僕の順番になり電動車椅子を上げてもらいました。
120㎏あるから大人が6人がかりで持ち上げてもらわないと行けないのに
大人の人はお酒が入っていて大丈夫かなと思いましたが、意外と行けてよかったです。

いよいよ僕の順番になり箱の手を横から入れてみましたが
僕の手が緊張しすぎてグーっと手のひらを握ったまま入れたから何も
わかりませんでした。
やっぱり手のひらで持たないと分からないなぁーと思いました。
最後に答えを見たらゴーヤだったので「なんだぁ…」と少し残念に思いました。
みんな楽しそうにしていました。

その後カラオケをして今日の事を話して部屋に帰って寝ました。


その続きはまた今度…(^o^)/

第17回バリアフリーダイビング☆終わり☆彡

2日目は、8時にロビーに集合してリフトバスに乗っていつもの港とは違って
本島南部方面に行きました。
手動車椅子に乗り換えなく電動車椅子のまま行けることになりました。
僕は30
分移動時間がかかるので手動椅子だと腰や体のあちらこちらが痛くなるためです。


到着すると何か見たことがある景色だなぁと思ったら、何年か前にレンタカーで
ドライブに行った所でした。そこでダイビングをするんだと思いました。


着いたらいつものような感じでウエットスーツを膝まではいた所で暑い中みんなで
記念撮影をしました。

ちょっと日なたに出たら肌がヒリヒリしました。

それから
Aチームともう一つのチームと一緒にボートに乗り込みポイントに向い
 5
分程で着きました。

一本目は魚の追い込み漁をすることをチームリーダーから聞きました。
どんな感じでするんやろう…と考えながらも、とりあえず海のに入りました。
しばらく海の中を見回した後、僕の目の前にでかい網がはってあったので
その中に魚を追い込みました。


小さい魚は網の隙間からするりと抜けていくけど、でかい魚は頭に引っかかりました。
僕は楽しくなり網にひっかかるぐらい何回も魚を追い込みました。

初めての体験でそんな風な仕方もあるのかと思いました。

それが終わると1回上がりました。
20分間休憩をした後、違うポイントでゆったりと潜りました。

2本目が終わって、ビーチでバーベキューを食べました。
テントの中は風が通らなかったのですが木陰の方は通るのでそこで食べました。
全員集まってするのが初めてで意外と楽しかったです。

追い込み漁であがった魚を見せてもらったけど10匹程でした。

たくさん網にかかったのが見えたのに意外と少なくて驚きました。
でも綺麗でした。
その魚を食べるはずがホテルに戻る時間になったので残念ながら食べられませんでした。
 
2日目は色んな体験が出来て楽しかったです。
 
4日間ありましたがこれにて終わります。

第17回バリアフリーダイビング☆

626日から30日までの第17回バリアフリーダイビング全国大会in Okinawaに行きました。

今回は
ANAでしたので、そこのサービスカウンターのチケットを受け取る場所に
行きました。
その時に電動車椅子のことを係の人に伝えたところいつもの様にバッテリーのこと
で時間がかかりました。このことは去年のブログに書いているので今回は書きません。

簡単にバッテリーが外から見えないためホームページでバッテリーのタイプを
確認するのに時間がかかりました。
2時間前に行ったのに1時間以上かかりました。
その後無事に飛行機に乗り込みました。


朝から母親がサンドイッチとおにぎりを作ってくれて、ちょうど空の上でお昼になり、
僕はサンドイッチだと口がパサパサになると思い少しだけ食べておにぎりでお腹を
満たしました。


その後
2時間程で沖縄に着き、飛行機から降りる時CAさんが「どこに行くの?」など
色々話しかけてもらいました。
話の流れ上、その方の出身地を聞くことになりました。すると、なんと僕と出身地が
一緒だったので、とても驚きました。


空港にはいつものスタッフが出迎えてくれていました。

伊丹からと、どっかの空港から来た人が集まったところで記念写真を撮り
リフトバスに乗って沖縄都ホテルへ向いました。

いつもなら海沿いのホテルなのに今回は首里城近くのホテルでした。
だからいつもより
30分も長くバスに乗り、意外と遠く感じました。

着いてから受け付けをして、少し部屋で休憩をとりました。


その後、参加者説明会まで時間があったので散歩に行きました。

ホテルの周辺には何があるんだろうと思い見渡すと、どこも坂ばかりで
車椅子では辛い場所でした。


しかも店もなかったので風景を写してホテルに戻ったらそのまま参加者説明会を
聞きに会場に行きました。
チームごとに集まりスケジュールの確認と自己紹介をしました。
僕の
Aチームは両親と2名の参加者とボランティアさん数名だったので
まるで家族のような雰囲気でした。


今回の参加者人数は
90数名でしたからそんな感じのチーム編成になったと思います。
あっという間に終わり夜の開会式まで時間がありました。
その間、ホテル内のおみやげ屋さんに行って品定めをしました。

15
分後の会場に戻ると、welcomeディナーでした。
今回のオードブルはとても美味しくたくさん食べました。
ホテルによって味が違うから今回のホテルは今までの中で一番美味しかったので
ご飯もお酒もいっぱい入りました。

次の日が早かったので
10時に寝ました。その続きはまた今度。お楽しみに!!

体調

5月の終わりに突然、お腹に痛みが走りました。

朝、起きたら今まで経験のしたことがない痛さを感じ、最初は大便かなと思うが
気配がなくて起き上がろうと思ったが起き上がれなくて布団の中でおさまるのを
待っていました。

少しおさまって作業所に行く準備をしている途中で、又、激痛に襲われました。
その痛みが何の痛さかわからず不安になりました。
病院に行くため電動車椅子に乗ろうとするが乗ることも出来ず、ヘルパーさんに
救急車を呼んでもらい
5分程で来ました。


僕が言語障害があるのでなかなか自分の意志が伝わらなくてヘルパーさんに
伝えてもらいました。
救急隊員に食事のことを聞かれて特に悪い物を食べた覚えもなくて原因がわからず
早く病院に行って心の中で叫びました。


病院に着いたら大量の血を抜かれてボーッとしてしまいました。
その次にお腹のエコーを見たけど何も写りませんでした。
医者にどの辺りが痛いか言いました。

それから何の検査をしてくれるかわからず
時間待たされました。
その間、ボーッとして眠さにおそわれました。

しばらくしてから
CT検査を受けました。
僕は初めてやるので緊張して、息を止めるのを
忘れてしまいました。
あっという間に済み、救急の部屋に戻りました。

CT検査の前に廊下に出たら、父親が心配して来てくれていました。


後からわかったのですが、
1時間待たされている間に父親に次のCT検査をすると
説明があったそうで、なぜ僕に行ってくれなかったのかと一人で怒りました。

その後
10分したら検査結果がわかり父親が病室に入り一緒に聞きました。
病名は尿道結石でエコーではわからず
CTで見つかったそうです。

どんな大きさの石があるのかと聞こうと思ったけど脱力感と病名がわかって
安心して聞けませんでした。


痛み止め薬をもらい自動車で自宅に車椅子を取りに行き実家へ行きました。
行く時気分が悪くて気絶しそうな雰囲気になっていました。

昼ご飯を食べるとだんだん気持ち悪さがとれていきました。
医者に水分を多めに摂るよう言われたので、母親がスイカを買ってきてくれて
食べました。

1
ヶ月間は痛みの波がありました。
すぐに泌尿器科に行くように言われたけど、ずっと病院に行かずにいました。

6
月の近畿大会の日には、その痛みはピークでした。
とりあえず会場に行ったのですがとても試合に出れなくてロビーの椅子に
横になって痛みとたたかっていました。
そのことを監督に伝えると、帰ってもいいよと言われましたが、
とても運転出来る状態ではありませんでした。


僕の気持ちは、せっかく行ったのにこんな形でメンバーに迷惑をかけるのは
悔しかったのですが、尿道結石の痛みに耐えることができず、その日は
帰りました。

次の日も大阪で全国に行けるのかの大事な試合がありました。
しかし痛みがひかず、行くギリギリまで粘りましたが、ヘルパーさんと
相談した結果、その日も行かないことにしました。

僕は家で勝つように、心で祈っていました。
すると夕方全国大会に出場することに決まったとメーリングリストで知りました。

次の日に泌尿器科に通院して診てもらいました。
レントゲンを見たら前よりもだいぶ下に下りてきたと言われました。
少し安心しました。

あと数日で勝手に出るかなぁーと思ったけど沖縄まで石を持って行きました。
旅行に行った
3日後にやっと小さいつぶが出ました。


そんなこんなで、
2ヶ月間の痛みから開放されてホッとしました。
僕はいつも環境が変化すると体調が悪くなるのでやめて欲しいです。